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は妃を携へて出づ。王は白頭にして妃は暗髮なり。王妃は背後の一室に至り、卓に倚りて座す。宮人侍す。客禮を行ふ。王妃笑を帶び頤を動して答禮す。菓子咖啡の饗あり。辞して歸る。

二日。家書至る。

三日 (日曜)。石黑氏の書到る。曰ふ軍事を學ばんとて多く日を費すこと勿れ。宜く普通衞生の一科を專修すべしと。

四日。軍醫監ロオトの需に應し、一週五時間日本語を敎授す。敎授はロオトの家に於てす。之の與る者はマイエル A. B. Meyer ヰルケ Georg Wilke 及ロオトなり。

五日。講習會を開く。

六日。午後零時三十分ロオトフアブリイス伯夫人 Graefin von Fabrice を訪ふ。夫人は名をアンナア、フオン、デル、アツセブルク Anna von der Asseburg といふ。フアブリイス伯に嫁して二男一女を生む。男子は皆騎兵士官なりといふ。夫人は肥胖矮小にして善く談ず。夜グレエフエ Graefe 及ヰルケと酒亭クナイスト Kneist (Grosse Bruedergasse) に會す。エルランゲル麥酒 Erlanger Bier を酌む甘美他種に過ぐ。

七日。家書至る。

八日。夜地學協會に至る。

九日。ロオトシユウマン酒店に會す。

十一日。夜フアブリイス伯夫人の招に應じ、大臣官舍 Ministerhôtel (Seestrasse) の夜會 Soirée に赴く。余が官舍に達したるは午後八時三十分なりき。主人夫妻は業房 Arbeitszimmer に出でゝ客を迎ふ。余軍醫正チイグレル Ziegler と室に入る。伯の曰く。聞く森君は頃日衞生將校會にて逸逸語もて演說したりと。眞耶。余の曰く。諾。曰く。余は之を聞くことを得ざりしを憾とすと。此夜の來客は七百人許。世に聞こえたる人々多ければ、煩を憚らずして其一斑を錄す。大臣はフオン、ノツチツツ、ワルヰツツ von Nottitz-Wallwitz 以下五六名とす。公使は