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五日。頃日寒暑鍼零下十五攝度にて連日雪ふり、易北河は上流より氷雪の大塊を流し來り、波面黑白の紋を生ず。白きは氷雪にて、黑き者は水なり。是日夜德停醫學會 Dresdner medicinische Gesellschaft (Zeughausplatz 3) に至る。某醫の演說を聽く。其要小兒の腹膜炎に特發 idiopatisch の者ありと云ふに過ぎず。自己の實驗を擧げて証明したり。ネエルゼンズスドルフステツヘル Neelsen, Sussdorf, Stecher 席に在り。

六日 (日曜)。一年志願醫トレンクレル Trenkler とリンケ混堂 Linke'sches Bad (Bautznerstrasse) に午餐す。此堂には每週二囘舞踏會を開く。其客には軍人多し。婦女は店婦 Verkaeuferin, 酒店の婢等なり。軍人中往々將校あり。此堂名を唱ふることを耻ぢ、別名を設けたり。所謂財務議官 Herr Commerzienrath の舞筵是なり。餐畢る。車を倩ひてロシユヰツツ Loschwitz に至る。此村德停を距ること遠からず。村にシルレル屋 Schillerhaeuschen あり。壁上の小板に是れシルレルが其友キヨルネルに奇居して筆を「ドン、カルロス」の曲に下しゝ處なり (Hier schrieb Schiller bei seinem Freunde Koerner am Don Carlos) の數行を記す。レナルド Lenard 氏を訪ふ。主翁、主母、嫡子中尉マツクス Max, 次子某と出でゝ余を迎ふ。咖啡を饗し、談話す。女フリイダ Frieda 出でゝ謁す。嬌姿西京美人に似たり。頃刻にして親族の少年エミイル、フオイグト Emil Voigt 來る。中學生徒たり。余に質すに日本風俗の事を以てす。主母の云く。我兒フリイダ長成此の如し。猶ほ土偶を玩びて自ら娛めり。是れ其近ろ購ふ所なりと。一土偶を出して示す。大さ三四歲の兒の如し。衣飾頗美。主母又云く。土偶の衣飾は婚儀の式に從ひ、其色白を用ゐ。頭上には綠環を戴けり。吾兒の早晚此装を作さんこと老母の願なりと。女恥を含みて其饒舌を遮らんとすれども能はず。主客粲然たり。既にして晚餐の卓に就く。仕女アンナア Anna 亦美。食後廊に出で、易北河を望む。西方に萬點の燈火水に映ずるを見る。卽ち德停府なり。夜半辭して還る。

七日。課業後ゲエヘ工塲 Fabrik Gehe und Comp. に至る。其煉藥の法、皆蒸氣機械に籍る。壯大驚く可し。夜工學校 Polytechnicum に至る。ハアゲン Hagen の演說を聞く。此堂は千八百七十二年より七十五年に至る間