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を惜しみたり。ルチウス氏は別に臨みて余が小照を求む。發車塲に來れる人々は萩原三圭、佐方潛造、蘇格蘭人フエヤヱザア及墨人トオマスなり。八時三十分德停府に達す。四季客舘 Hôtel zu den vier Jahreszeiten に投ず。舘の主人は猶ほ余が面を記憶せり。此日日曜日なるを以て舘の食堂來客多し。

十二日。天氣晴朗。午前十時軍醫監ロオトを訪ふ。兵部省、參謀本部等の到着簿に記名す。十二時衞戍病院にて開會式あり。講習會の諸敎官及之に與る諸軍醫と相見る。此日客舘の窓より街上の敷石を補繕するを見る。鐵鎚もて石を打ちこむさま甚奇なり。夜始て古市 Altstadt なる宮廷戲園 Hoftheater に至る。女優ウルリヒ Ulrich といふ者アドリヤンヌ Adrienne に扮す。

十三日。講習始まる。敎授ネエルゼン Neelsen 剖觀法を敎ふ。ネエルゼンは準低く顋出づ。容掦らす。畫廊及伊太利畫歷代畫展覽會に至る。後者は皆寫眞圖なり。午後四時僦屋に遷る。既ち尼院大街十二號 Grosse Klostergasse 12, II Etage にして、未亡人バルトネル氏 Frau Dr. Baltner の所有なり。家は易北河の南岸アウグスツス橋 Augustusbruecke の畔に在り。𤄃き居室と小臥房とあり。居室には銅板フアウストマルガレエタの圖を揭ぐ。此家は來責の僑居に優る。

十四日。軍醫正ステツヘル Stecher の講筵に與る。頒白翁にして鬚髯多く、身幹低し。一等軍醫シル Schill 菌學を講ず。容貌偉大、明髮長髯なり。夜ロオトと僧院大街 Grosse Bruedergasse なるレンネル酒店 Restaurant Renner に會す。酒間ロオトの曰く。曩日松本、橋本の手簡を讀みて大に惑へりと。故を問ふ。曰く。松本の手簡は必ず掌記の手に成り、松本の記名を經たるのみならん。橋本の手簡は伯林調の最甚き者にて、獨逸人と雖、伯林に生れ伯林に長じたる者に非るよりは作ること能はざる可し。又松本は軍醫總監に非ずや。橋本は一軍醫監にして恣に其命令を變更す。是れ奇中の奇なりと。余の曰く。閣下の疑故なきに非ず。橋本とても必ず松本に問ひて變更す可きなれど、其時日なき故に、かくは計らひたるならむ。東洋の諺に將の外にあるや君の命だに奉ぜざる所ありと云へり。且橋本の歸るや、松本は致仕し、橋本これに代りぬと。ロオトの曰く。嗚呼然る歟。陸軍卿の隨行は定めて人の羨む所なるべしと。橋本氏の書實