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Niedermueller (フオオゲル氏の女) と俱に再び婦人會に赴く。演說中シユミツト氏 Fraeulein Augusta Schmidt 及ゴルドシユミツト氏 Frau Henriette Goldschmidt の言最も聽くべし。後者は盖しニイデルミユルレル氏の舊師なり。此日シユライデン氏 Frau Schleiden も亦會塲に在り。

三十日。午後四時ウユルツレルライヒス、ストラアセ Reichsstrasse の酒店に會して、ミユンヘン宮釀 Muenchener Hofbraeu を飮む。

十月一日。宮崎津城 (道三郞) 及井上巽軒ハイデルベルヒ Heidelberg より到る。フオオゲル氏の家に住す。余が勸むる所に從ふなり。津城は余と同じく西に航せし一人にして溫厚の君子なり。巽軒は此囘始て相見る。容貌古怪、面上少しく痘瘢あり。雄辯快談傍ら人なきが若し。其詩集及東洋哲學史の草稿を示さる。此夜獨逸に來しより以來始て東洋文章の事を談ず。快言ふべからず。

二日。荒木卓爾伯林より來る。巽軒の室に相見る。

三日。樫村淸德維納より至る。余が家に宿す。

四日。樫村、井上、萩原、佐方と同じく水晶宮に至る。影戲を觀る。此日家書至る。

五日。樫村を送りて停車塲に至る。夜第百七聯隊の「カシノ」に至る。カルヒ Karg の演說を聽く。

六日。英語の師イルグネル Ilgner と別る。凡そ西洋言語の師は猶ほ東洋音樂の師のごとし。金を與ふれば拜して受く。其內或は「プロフエツソル」Professor の稱ある者あり。奇と謂ふ可し。余のイルグネルに於るや、全一年の敎育を受け、恩誼少なからず。敷金を贈りて謝したり。

十日。日本兵食論大意を作り、石黑軍醫監の許に奇す。

十一日。午後六時十五分滊車に上りて來責府を發す。是より先きホフマン師に別れんとて其家を訪ひしが、旅中にて遇はず。一等軍醫ウユルツレルにも面り別を吿ぐることを得ず。フオオゲル氏の家にては皆愁を帶びて別