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を開かんとすと。余家に歸りて直に賣花店に赴き、盆栽一株を買ひ、人をしてウユルツレルの家に送致せしむ。是より例のフオオゲル氏の居に至る。フオオゲル氏は酒食を調へて余を待ち居たり。フオオゲル氏の曰く。頃日我家に午餐する者甚だ衆し。一佛蘭西人、四英國婦人あり。又リイスヘン Lieschen の君の歸るを待つこと久しと。余怪みて其何人なるを問ふ。卽ち紅衣の女兒なり。

十三日。朝家書又至る。應渠翁の書に曰く。參商一隔、いかにおはすらんと筆はとれど書やるすべもなく、こゝろ迷ひぬるは、綣戀之情かたみに同じかるべし。まづ尊堂も弊廬も無事なるはうれし。扨本月一日大洪水、堅固なる千住橋並吾妻橋押流し、外諸州の水災抔慘狀、こは追々新聞等にて御聞に觸候はん。略之。五月雨にこゝろ亂るゝふる里をよそに凉しきつきや見るらむなど口にまかせ候。政之。御令妹このほど御歌は上達、感入候也。書餘讓後信。努力加餐。不宜。七月十一日。應渠再拜。牽舟賢契榻下。是日フオオゲル氏の家に午餐す。クレンチユ氏 Miss Clench 姉妹及其母と叔母とを見る。ルチウス Lucius 氏余を其室に延き、今月十一日の生誕に人々の寄せたる花卉を眎す。日暮トオマス Thomas 浴塲より歸る。少將フオン、チルスキイ von Tschirsky 大佐ロイスマン、少佐ワグネル、軍醫正チムメル Zimmer 及軍醫正リユウレマンを訪ひ、演習中の好意を謝す。

十四日。晴。午前ホフマン師を訪ふ。二時間餘談話す。午後八時「カツシノ」に至る。軍醫正リユウレマンチムメルの二氏及軍醫ウユルツレルと會するなり。ウユルツレルの曰く。明旦來責府を發し、德停府に赴くと。

二十三日。家書至る。舊の東亞醫學校の俊髦高野寬一郞の書亦至る。

二十七日。片山國嘉伯林より來る。萩原の家にて米飯鯉魚膾を喫す。食後「ボオレ」Bowle 酒を製し、之を酌みて歡を盡す。「ボウレ」酒 Bowle は菓を截りて種々の酒類を雜ぜ盛りたる壺の中に投じたる者なり。片山フオン、レエマン氏 Fraeulein von Lehmann の事を語る。其略に曰く。伯林府に一處女ありフオン、レエマン氏と名づく。素と某伯の子なり。嘗て自ら誓ひて以爲へらく。必ず一日本人を得て夫と爲さんと。此願をおこしゝには許多の原因もある可けれど、主に在伯林の日本留學生は