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八日。天陰。午前七時客舍を出で、大隊と共にギヨツトヰツツ Goettwitz の傍に小憩す。是よりロツテリツツ Rotteritz を經てイエゼヰツツ Ieesewitz の傍に至り、演習す。一時ムツチエンに歸り、ベルゲル Berger の酒店に小酌す。

九日。晴雨定らず。七時大隊と共にムツチエンを離れ、キヨルミツヘン Koellmichen 及メルシユヰツツ Merschwitz の北に陣す。後ガステヰツツ Gastewitz の近傍に至る。十一時演習畢る。ガステヰツツの酒店に飮む。午後一時ムツチエンに歸る。此日石坂惟寬の書至る。山根大尉の齎し來る所なり。夜オルハア其伯母 (余が住する雜貨店の向ひに住す) と「ステレオスコオプ」Stereoscope を携え來り、圖を觀て談笑す。

十日。陰。此日演習なし。午前十時の頃雷雨ありしが、忽ちにして天晴れたり。午後二時大佐ロイスマン以下數十人と會食す。

十一日。陰。午前七時ムツチエンを發す。此夜露營し、翌日グリムマに赴かんとす。八時三十分ラアゲヰツツ Ragewitz の傍に至る。十二時演習畢り、露營の準備を爲す。幕を張る時急雨至る。既にして撤營の令あり。又ムツチエンに歸らざるべからず。幕を收めて途に上る。時に風起り雲飛ぶ。余ウユルツレルと隊伍に後れ、徐步して歸る。ムツチエンに近き松林に至れるとき、黑雲天を蔽ひ、雷霆地に轟ぎ、風雨交〻至る。忽ち救を求むるの聲あり。諦視すれば一村童の六七歲許りなるが、演習を觀んとて野外に出で、歸途此雷雨に逢ひ、咫尺もわからぬ闇となりしに驚きて、聲を發せしなり。余送りて其家に至らんことを約す。村童喜色掬す可し。村に入りて行くこと未だ幾ならず。兒童は左の方なる農家を指し、是れ兒が家なりと云ふ。乃ち別る。チイラツクの家に達す。夜大隊長以下數十人と村の小獵堂 Gasthof zum Schuetzenhaus に飮む。

十二日。風雨。午前六時チイラツク氏に別を吿げ、馬車一輛を倩ひ、ラアゲヰツツ Ragewitz に至る。演習全く畢る。車を驅りてグリンマに至る。將校數百人と獵堂に會食す。四時グリンマを發して來責府の寓に歸る。時に午後六時なり。是日歸途ウユルツレルの曰く。今日は吾妻の生誕なれば、家に歸りて洗塵の杯を兼ねたる祝筵