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たるを以て之に與ることを得たり。來集の軍醫には、軍醫監ロオト Wilhelm Roth, 軍醫正ドヨオレル Doehler 及チムメル Zimmer, 其他軍醫正七人ありしが、其名を失す。食畢る。國王步して余が前に至る。余禮を行ふ。獨乙に來りて怎麼の感かある。又來遊の主なる目的は何ぞ等の問訊あり。余は簡單に答へたり。ロオト Roth 氏余を延いてゲオルグ王 Prinz Georg の前に至り、數語を交ふ。又曾て德停府にて謁せしことある兵部卿フオン、フアブリイス von Fabrice 伯とも語ることを得たり。瑞典の一大尉あり。余と語る。獨乙語に熟せざる人と見ゆ。大尉は曾て德停府負傷者運搬演習のとき之を見たり。然れども初め其の瑞典人たるを知らざりき。已にして獵堂を出で、大佐ロイスマン、少佐ワグネルと共に金獅客舘 Gasthof zum goldnen Loewen に至る。途次數百の兒童余に尾し來る。盖しグリムマにて日本人を見るは甚だ稀なるが故なり。大佐ロイスマン Leusmann 大聲にて驢と呼び羊と呼ぶ。罵詈百出、群童漸くにして散ず。夜ワグネルと俱に城に歸る。

七日。晴、昧旦ドヨオベン Doeben を發す。ワアゲルヰツツ Wagelwitz 村の傍にて演習あり。騎兵の我軍隊を襲擊せるために頗る物議を來したり。此日余は軍醫正リユウレマン Ruehlemann と馬車に乘りて演習を觀たり。演習將に終らんとす。余リユウレマンと別れ、ワアゲルヰツツ村に入る。ウユルツレルの或は村裡に在らんを慮りてなり。余立ちて一酒亭の前に在り。忽ち人の鞭を把りて輕く我肩を叩くあり。顧視すれば十五六の少女馬車の上に在り。紅頰碧眼。嫣然として笑ひて曰く。君が帽甚だ美なり。請ふ兒をして熟視せしめよと。余笑ひて之を諾す。一村落の女兒その人を憚らざること此の如し。後ムツチエン Mutzen に達す。一商賈の家に投ず。主人をチイラツク E. Thierack と名づく。我に所謂小間物商なり。待遇頗る渥し。二女ありエムミイ Emmy と云ひマチルデ Mathilde と云ふ。又オルハア Olga といふ親族の女兒ビルナ Birna より來て此家に客たり。曰く。曾て女伴ヘレエネ Helene (醫某の女) と來責府に往きて、「パウリイネル、バル」Pauliner Ball に與りしとき、女伴は一日本人と舞踏したりと。余其飯島なるを知る。余も亦其舞會に與りしを吿げ、以て奇遇と爲すなり。オルハアは淸瘦の好女兒なり。惜むらくは八年來重聽の病ありといふ。