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△東禅寺 曹洞宗、千葉家十三代重胤の創立で、明治十二年三月一度び祝融の災に遇ひ、灰燼に歸したので、堂宇は明治十五年再健された。場所は西猪の鼻臺、本尊は薬師如来。

△本圓寺 本町一丁目に在り、永徳元年三月、日什聖人の開基である。本尊は 多寶佛、釈迦、日蓮の諸佛で、境内は総て八百丗五坪、門内の池には、菖蒲社若が多く殖ゑられてある上、苑の内には雑草好き程に繁って居るので、夏の朝など比處に来るとすがしい感じがする。

△胤重寺 字西猪の鼻臺に在り、開山は千葉介常胤の四男武石三郎胤重の末孫武石三郎胤盛の弟が、祖先胤重の為め、永錄年中是れを建立したので、胤重寺の號がある。浄土宗鎮西派て来迎寺の本寺になってゐる。本尊は阿陀陀如来。

△寶幢院 勝胤の男妙見寺第十四世覚胤僧都が元亀二年に堂宇を院内の地に創立した。光明寺と同じく天正十九年徳川家康公東金御巡行の折、妙見寺へ御止宿になり、其節境内を除地として下された。宗は真言に属し、本尊は如意輪観世音である。

△本敬寺 本寺は長生郡茂原の巨刹藻原寺の末寺で、本堂には多寶佛、釈迦佛、十界諸尊、日蓮の諸佛像を安置してゐる。明應元年壬子年七月二日日伝聖人の創立にかゝり、場所は本町二丁目である。

△宗胤寺。延徳二年、千葉介氏胤の攻男宗胤が開いたので、宗胤寺の名がある。 曹洞宗で、聖観世音菩薩を載き場所は字川崎裁判所の裏手にあり、境内には毎年白梅咲き、静寂な趣がある。

△高德寺 曹洞宗高德寺は西豬鼻臺に在り、宗德寺の末寺で、貞治四年千葉介氏胤の息男胤高の開基にかゝり、本尊は地蔵尊てある。