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△白幡神社 千葉町の果寒川新宿にあり、祭神は譽田別命、息長足姫命で、勧請年月等は不詳てあるが、治承年間に頼朝公が安房から上総を経、白幡を押立てゝ千葉城へ乗込んで来た時に、率ゆる處の兵一千中、主なる士大将等は千葉城内に宿営したが、数多の士卒は、概ね比處に野営をする事になつた。■して戦ひ勝つに及んで、比處に白旗幾流かを納めたので、白幡神社の名が残ってゐるのである。尚比外白幡神社は鎌倉に一ヶ所、房州にも亦一ヶ所の総て三ヶ所にあるとの事である。而して比社は目下寒川神社の摂社になつて居て、境内には琴平神社等都合五社が併せ祀られてある。

△五社稲荷社 千葉寺區字五田保にある村社で、創立の年月等は詳らかで無いが、古老の云ふに、昔日本武命が戦ひに勝つて比所に来た時、樹へ駒を繋いだのて駒ヶ原稲荷の名があり、開院宮殿下御筆の正一位駒ヶ原稲荷大明神と云ふ扁額がある。降つて千葉氏の世に及んては常兼が千葉を居城とするに當つて、 當社を鎮護神と仰ぎ五社稲荷と稱して、社殿は悉く千葉家の営繕に成つたものださうだ。が千葉氏没落後は村民が力を協せて、社殿の補理をする事になり、 寛政七年には京都の稲荷大社から正一位五社稲荷の神號を賜はつた。而して境内には天神、三玉、琴平等の七社が併せ祀られてある。

△浅間社 場所は黒砂字干場、由緒等は詳らかでないが、社格は村社で本花咲耶郡比賣の命を祀り、境内には三宝神社外三社がある。

(末社)天神社 黒砂字稲毛臺所在、菅原道真の霊を祀る。

(同)道祖神社 黑砂村字道祖神所在、祭は神八衢比臺神と久那戶神。

△石尊神社 村社で、場所は穴川。文政九年六月、村民吉右衛門なる者が、千葉外三ヵ村の入会野地百餘町開墾の儀を當時の領主堀田相模守へ出願した處、