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れなり』と。又た曰く、『憎くとも宥るすべきは、花の風、月の雲、うちつけに爭ふ人は、ゆるすのみかは』と。
かゝる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが爲、武士の間にも亦た詩歌を奬勵したるより、從つて、我國の詩歌には、悲壯、優雅兼ね至り、藹然として楮墨に溢るゝを見る。實に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に傳へらるゝもの、狂言綺語の末ながら、尙ほ能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。
そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の氣風によりてこれを敎ふる中にしも、大鷲文吾と聞えしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての麁忽もの、心氣 せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすゝめて、心