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Page:Bushido.pdf/88

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 弱者、劣者、敗者に對して仁恕なるは、賛して武士の美德となす所なりき。日本美術の翫賞家は、屢ば行脚の一僧の、逆馬に跨るの繪畵を視ることあらん。この逆馬の僧こそ、俗なりける日には、其名を聞くだに、尙ほ人の怖れし猛者なりけれ。頃は壽永の秋の暮、須磨、一の谷の合戰に、源平兩家玆を先途と鎬を削りて戰ひける時、熊谷は敵の若武者を追驅け、强き腕に組んで伏せたりけるが、扨もかゝる時、組敷かれたる人の、天晴の大將軍か、力量劣らぬ剛の者ならでは、血を流さぬが戰の作法なりければ、上なる武士は云ふやう、我こそは熊谷の次郞直實なれ、抑も和殿は何人にておはすと問へど、唯だ夙う首取りて人に問へ、見知らうずるぞと答ふ。熊谷、其兜を押し仰けて見るに、我子の小次郞の齡ほど