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て『東洋的壓制』となし、而して其云ふ所を以て見れば、泰西史上、未だ曾て一人の暴主をも有せざるものゝ如し。

 予は固より何の壓制をも是とする能はず。されど壓制と封建とを同視するは、甚だ謬れり。『王は國家第一の臣僕なり』とのフレデリツキ大帝の名言は、立法學者の評して、自由主義進步の一新時代を迎ふるの聲なりと云ふものなり。然るに時代は奇遇し、日本東北の僻壤に於て、米澤公鷹山も亦た帝と同一の宣言をなし、世子を誡むるに、『國家人民の立てたる君にして、君の爲に立てたる國家人民には無之候』と曰ひて、封建の必ずしも壓制暴虐に非らざるを明言せるあり。封建の君主たるもの、縱ひ君臣互に負ふの義務あるを曉らざりしとすとも、尙ほ祖宗に對し、天に對して