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年、怨恨甚だ深し。然るに信玄病んで死せりと聞くや、謙信は箸を投じて長歎したりと云ふ。又た謙信の信玄に鹽を遺りたるは、武邊の美談なりとして傳へらる。信玄の領地甲信二國は海に濱せず、鹽を東海より買ふ。然るに北條氏陰かに其鹽を閉ぢて、甲信に送るを禁じたるより、甲信の民大いに困み、一種の兵糧攻に異ならざりき。上杉謙信之を聞き、書を信玄に寄せて曰く、聞く北條氏、公を困むるに鹽を以てすと、此れ不勇不義の至なり。我の公と爭ふところは、弓箭に在りて米鹽にあらず。今より以後鹽を我國に取れ、多寡唯だ命のまゝなりと。乃ち賈人に命じ、價を平にして、之を給したりとぞ。此れ彼の羅馬の勇士カミラスが、『羅馬人は金を以て戰はず、鐵を以て戰ふ』と云へるに似て、而