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序を危くし、之を破るものなりと目せられ、從つて多年の寃屈を免れざりしと雖、而も此賢人の道は、永へに武士の精神に宿りて、遂に此れより離るゝことなかりき。

 孔孟の書は幼者學に入るの第一の敎科書にして、又た老者が以て議論の憑據となす所なりき。されど、唯だ此二聖賢の典籍を諳んずるに過ぎざるの徒の、曾て社會に重視せられたること無く、孔子の書の訓詁にのみ通ずるの徒を、俚諺にも『論語讀みの論語知らず』と嘲り、眞の士人は、文學の徒を貶し、目するに書臭紙魚を以てしたり。三浦梅園の如きは、『學問は臭き菜のやうなり、能く能く臭みを去らざれば、用ひがたし。少し書を讀めば、少し學者臭し、餘計書を讀めば、餘計學者臭し、こまりものなり』と曰ひ、學問若し、心念