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Page:Bushido.pdf/48

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と曰へり。禪の形式は思索なり、開悟なり。其理たる予の曉解し得たる所を以て云へば、宇宙の森羅萬象裡に伏在せる大秘義を覺悟し、其極意に到着せば、即ち能く絕對存在者を認識し、而して終に人間と絕對存在者とを調和せしむるものなりと。斯く定義を下せば、禪の道は廣大にして一宗一派の敎義に拘泥せず、人若し絕對存在者を認識するに至らば、乃ち俗世間を解脫して、彼の鬼糞先生と共に、『新天、新地』に覺醒すと叫破するを得ん。

 武士道に於て、佛敎の供給する能はざりしものは、即ち神道ありて、裕かに之を補充せり。君王に對する忠義、祖先の崇拜及び孝義の三者の如きは、他の敎義の誨ふる能はざる所にして、特り神道ありて之を訓へたり。此三者は即ち武