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り。此輩を稱して『さむらひ侍』と云ふは、字義より推すに、上古の英國に於ける『クナイト』(cniht, knecht, knight)に等しく、家來又は侍臣の謂にして、其地位たる、大シーザーの書に、アキタニアに在りたりと記せる、『ソルジユリイ』(soldurii)若くは、タシタスの古史に散見せる、彼が時世の獨逸種族の酋長に隷屬したりし『コミタチ』(comitati)と相似たり。更に時代の近き比較を擧ぐれば、歐洲中世紀史に現れたる、『ミリテス、メデイ』(milites medii)に類す。我國にては、又た普ね此れに漢字を宛てゝ『武家』『武士』と稱し、『ものゝふ』、『物部』は、古來の雅名なり。抑も武士とは、特權ある階級の人にして、元、是れ爭鬪攻伐を事としたる慓悍殊死の徒なりき。爭亂久しく絕ゆること無かりし世に至りて、兵農是一なり