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た病的曲解を以て、ナザレ人耶蘇の謙遜克己の奴隷道德と名くるものに抗する一時の反動なり。過渡の現象なり。

 基督敎と唯物說(功利說をも含む)――將來或は更に簡約せられて、希伯來主義ヘブライズム希臘主義ヘレニズムとの舊態に復すること無き乎――は天下を二分せん。小系統の道德は亦た彼に就き、此に合して、其命脈を保つべし。而して武士道は其の孰れにか與すべき。斯道たる、墨守すべき敎理無く、形式無く、其實體は消失するに任せん。譬へば櫻花の如し、一陣の春風、萬朶の雪となりて翩飜たるを厭はず。されど、其命數は必ずや、滅絕すべきものにあらず。誰か云ふ、ストイツク哲學は滅びたりと。然り、系統として旣に死せり、されど道德として猶ほ存す。其精力活氣は、人生多種の流域を通じて、