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Page:Bushido.pdf/268

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るに予は惟へらく、斯敎は即ち『昔昔の物語ゼ、オールド、オールド、ストーリー』にして、之を傳ふるに當り、明晰なる言語、即ち古より一國民の道德的發達に伴ひたる言語文字を以てせんには、人種國土の異同を破して、直ちに其心裡に徹するを得べしと。米國人若くは英國人の作爲せる形式を有せる――アングロ、サクソン的なる傾癖妄想の、敎祖の優美淸高なる精神を冐瀆せる――基督敎は、以て武士道の株幹に接ぐべき嫩枝と爲すに足らず。敢て問ふ、新宗敎の宣傳者は、幹根枝葉を芟除し、而して荒蕪の土壤に播蒔するに、福音の種子を以てせんとするものなるかと。此の英斷快擧たる、夫れ或は之を施すに其地あらん。布哇を見よ、聞道く、基督敎の彼國に於けるや、傳道軍は其國土の富源を鹵獲し、土人を滅絕して、全捷を占むるを得