コンテンツにスキップ

Page:Bushido.pdf/260

提供:Wikisource
このページは検証済みです

屈するに踟蹰せざるべし。其の初、夢裏桃源の國を開きて海外諸國と通商し、生活の各方面に最新の發明を輸入し、泰西の政治、科學の硏究に着手したる時、主として吾人を指導したる動機は、物質的財源の發達にも非らず、富力の增大にも非らず、况んや泰西習俗の心醉踏襲にも非らざりしをや。東洋の制度民族を精察せるタウンゼンド氏は曰く、『吾人は日常歐洲の日本を感化したることを聞きて、而して此島國の改新は、全く自生し、歐洲は日本を敎へず、日本は任意歐洲に於ける文武制度の組織を學びて、多大の功を成したるものなるを忘る。日本は恰も先に土耳古が歐洲の砲術を輸入したる如くに、歐洲の機械、學術を輸入したり。されど英國の支那茶を購買するによりて、感化せらるゝことある