民の精華たる士人を飾るの光榮たりしものが、時を經るに從ひて、輿衆國民に於けるの熱望となり、靈感(インスピレーシヨン)となり、而して平民は高邁なる武士の有したるが如き精神の尊尙正大なる境域に到達すること能はざりしと雖、尙ほ遂に大和魂の語は、我島帝國の民族精神(フオルクス、ガイスト)を表稱するものとなれり。マシウ、アーノルドが定義の如くに、宗敎とは『道德の情緖に接觸したるもの』に過ぎざらん乎、されば凡百の倫理系統中、武士道の如くに、能く、宗敎を以て稱すべき質格を具備したるものあるを見ず。本居宣長は、我國民が不言の言を歌ひて曰く、
敷島の大和心を人問はゞ 朝日ににほふ山櫻花。