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妻を稱するに『荆妻』、『愚妻』等の語を以てするは、即ち女子を輕侮し、毫も之を尊重すること無きを證するものなりと云ふあり。唯だ此輩に吿げて曰へ、吾人は又た常に『愚父』、『豚兒』、『拙者』等の語を用ふと、他復た何ぞ辯を加ふることを須ひんや。

 予の觀る所を以てすれば、吾人の婚娶に對する觀念は、或は彼の所謂基督敎徒的思想に優越せるものあるに似たり。曰く『男女は合して一體となるべし』と。然るにアングロ、サクソン人種の個人主義は、夫婦を以て二人なりとするの思想を排除する能はず。彼等の一旦反目するや、個々の權利は直ちに承認せられ、其唱和するや、癡呆の寵稱、愚劣の諛辭を恣にするに、言語もこれ足らず。夫又たは妻に對して、