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術家なり、其工塲は至聖處なりき。晨朝齋戒沐浴して其業に從ひ、心魂氣魄を打つて、鍊鐵を鍛冶し、揮槌、入湯、砥礪の如き、皆嚴肅なる祭式なり。刀劍の靈德奇氣を帶ぶるは、即ち良工の精魂之に寓し、祭神の威德之に宿るが故に非らずや。日本刀の美術の完璧たるは、トレド又たダマスカスの名劍の企及するところに非らずして、而も亦た美術の賦與する能はざる精氣を存す。氷刄燦として玉匣を脫すれば、大氣忽ち凝つて雨露を滴らし、碧花を開き、晃々たる百鍊の龍身は光芒を吐く。犀利の銳鋒は歷史を懸け、未來を繫ぎ、彎曲せる刀背は、絕美を結ぶに絕大の力を以てす。一たび之を觀れば、威力、美趣、畏敬、恐懼の念の凛乎として交も人に迫るあり。刀劍若し啻に美觀悅樂の具たらんには、其用たる