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Page:Bushido.pdf/182

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つて、心臟を以て感情の中樞なりとする普通の思想に較ぶるに、更に學理に合するものあり。日本人はロメオの如くに、未だ僧侶に問ふことを須ひずして、『我が臭骸の何のけがしき處にか、我名は宿れる』を熟知せり。近世の神經學者は、腹部腦髓、腰部腦髓等の說をなして、此等の局部に於ける、交感神經中樞は、各種の心理作用によりて多大なる感動を受くと唱ふ。此の精神生理說を是認せば、即ち切腹の論理は容易に作成せらるべし。曰く『予は我靈魂の宮殿を開いて、其の果して何の狀を呈するかを公示せん。汚瀆なるか、皓潔なるか、汝親しく之を觀よ』と。

 請ふ、讀者の予を以て、宗敎上若くは道德上より、自殺を賛すとなす勿からんことを。されど名譽を重んずるの念の