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Page:Bushido.pdf/176

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こと無きが故なる乎。予は自から信ず、吾人は事に激すること速かに、感情銳敏なるが故に、即ち絕えず之を自制するを必要として、之を勵行するに至りたるものなりと。されど此點に關し、何等の說明を試むるものあらんにも、若し日本民族の古來繼承せる克己自制の修練を考察するにあらずんば、其れ必ずや正鵠を失するものあらん。

 克己の修養は、動もすれば其弊に墜ち易くして、靈魂裡に於ける溫然たる暗流を遮ぎることあり、柔順なる天性を撓めて、邪癖偏傾ならしむることあり。克己は執拗を生み、僞善を培ひ、愛情を鈍らすことあり。夫れ何等の高尙なる道德なりとも、必ずや之に對して假僞の生ずることあり。されば吾人は何等の德に於ても其の眞美を認め、これが眞の