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るゝことあり。紀貫之の曰く、『かやうの事、歌このむとてあるにしもあらざるべし、唐土もこゝも、思ふことに堪へぬ時のわざとぞ』と。母あり、其子の亡きを悲しみ、常時の如く、蜻蛉釣りに出でたるものと想ひなぞらへ、吾と我が遣る瀨なき懊惱悲苦を慰めんとして、吟ずらく、

蜻蛉つり今日はどこまで行つたやら。

(千代)

 予は更に他の例を擧ぐるを止めん。血を吐く胸より滴々絞り出だされて、いとも貴き瓊琚珠玉の絲に繫がれたる我が國の哀歌悲詞を移して、之を外つ國の語に飜し出さんとすれば、反つて是れ、我が邦文學の至寳を蔑辱輕侮するの過に陷るべきを以てなり。只だ予は些か爰に、吾人の或は無情冷酷と見え、嘻笑と憂欝とのヒステリー性に交雜して、