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クラレンの筆を倩ひ來らん乎、我國農民の間に於けるも、亦た幾多の賢母マルゲツト、ホーの在るを覽るに難からざるべし。

 我國基督敎會に於て、所謂信仰復興リヴアイヴアルなるものを見ること稀少なる所以は、一に此自制の修養あるを以てなり。男子にもあれ、女子にもあれ、其靈魂に感激する所あれば、其本能は先づ、之を抑へて、些かなりとも、外に現はさゞらんことを努む。心念の洵に至誠熱烈なる雄辯に溢るゝ時に於ても、能く之を內に制する能はずして、舌を弛め、唇を開いて、之を言語に洩すが如きは幾んど稀なり。漫に精神上の實驗を聲に發せんことを勸むるは、即ちモーゼの第三戒(汝等神の名をみだりに唱ふべからず)を破ることを慫慂する所以なり。日