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Page:Bushido.pdf/145

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りき。此れ人に代つて死するの物語なり。アブラハムの其子イサクを祭壇に捧げたると何の異なる所かあらん、其義は相似たり、其美は相若く。共に義務の招く所に應じ、高きより來る聲の命ずるがまゝに行へるものなり。唯だ其聲の、此には目に見ゆる天使より下り、彼には目に見えざる天使より來り、此れは肉の耳に聞き、彼れは心の耳に徹したるの差あるのみ。――吁、然りと雖、予は說敎者の口吻に倣ふことを止めん。

 西洋の個人主義は、父子、夫婦の間にも、利害の分離を承認するものなるが故に、大に人の他に對する義務の量を輕减す。然るに武士道は家門と族人との利害を以て、一にして分つべからざるものとなし、此利害は愛情と結びて、自然な