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(秀吉)鳴かざれば鳴かせて見よう郭公。

(家康)鳴かざれば鳴くまでまたう郭公。

 孟子は大いに人に勸むるに忍耐不屈を以てし、或は『雖袒‐裼‐裸‐裎於我側、爾焉能浼我哉』といひ、或は又た小憤は君子の愧づる所にして、大憤即ち義憤なるを說きたり。

 武士道を奉ずる者の、其奧を極めて、遂に能く『爭而不校』と謂へる柔和の高致に達したるものあり。小河立所曰く、『人の誣ふるに逆はず、己が信ならざるを思へ』と。熊澤蕃山は曰へらく、『人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒と慾とを棄てゝこそ、常に心は樂しめ』と。又た、其隆起せる額は、淸廉高義を表して、所謂『耻も此に宿るを愧づる』なる、彼の老西鄕の格言を擧げて之を示さん。