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驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、爲に蕩盡したる財產の數量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は、名譽の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて歧るゝ處は果して何れにありや。レツキーが曾て誠實の誘因として擧げたる實業、政治、哲學の三者中、其一は武士道全く之を缺き、其二は封建制度の政治社會に在りて、殆ど此れが發達を見ること能はざりき。而して誠實信義の德の、士林の道德範圍に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲學的誘因に由れるものにして、即ちレツキーの所謂、至高の形態に於て發達したるものなり。予はアングロ、サクソン人種の商業道德に秀でたるを見て、衷心深く