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稻造の先、幕政の時に當りて、世々盛岡藩の士籍に列り、祖父安政年間、藩領三本木に水利を通じ、荒蕪を拓きて微功あり、明治九年

聖上東北を巡狩し、三本木驛に於て、畏くも稻造の居宅を假行在所に充て給ひ、爾時祖父の追賞を蒙り、子孫國事に奉ずべしとの聖諭を拜せり。稻造等一族感泣措く所を知らず、各身を殖產の道に立て、父祖の遺志を紹ぎて、皇恩に報い奉らんことを誓へり。稻造業を札幌農學校に修め、更に歐米に留學し、後該農學校及臺灣總督府に歷任し、今や乏を京都帝國大學法科