コンテンツにスキップ

Page:Bushido.pdf/106

提供:Wikisource
このページは検証済みです

賞して、色彩の艶なるを採らず、要は趣味の精に到るに在り。故に些の衒氣も、宗敎的畏怖の念、以て之を排す。世は戰亂の雲に蔽はれ、矢叫の音絕ゆること無かりし日に當りて、隱逸の士の茶道を立てたる、旣に戱弄にあらざりしを證すべし。茶室の靜寂境に入る者は、先づ劍を解き、戰場の慘、政治の煩を去り、此に油然として平和懽情を樂しむを得たり。

 茶の湯は啻に禮道に非らずして、又た美術なり、調節和諧せる擧止を以て韻律リズムとなすの詩歌なり。而して其奧義の伏する所は靈性修練の方式たるに在り。然るに茶道を學ぶものゝ多くは、心を其末技に專らにすとも、此れを以て、其要旨は精神的ならずと反證すること能はず。

 禮、縱ひ容止をして文雅ならしむるに過ぎずとすとも、尙