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斑を窺ふべければ、或は懦夫の志を立てんと思ひ、且つ祖先の功勞を沒せざるは、子孫の務めなりと思ふて、茲に刊行しぬ、

 明治二己巳年孟春

四世孫杉田鵠兼卿謹撰


蘭學事始上之卷


今時、世間に蘭學といふ事專ら行はれ、志を立つる人は篤く學び、無識なる者は漫りにこれを誇張す、其初を顧み思ふに、昔し翁が輩二三人不圖此業に志を興せし事なるが、はや五十年に近し、今頃かく迄に至るべしとは露思はざりしに、不思議にも盛んになりし事なり、漢學は遣唐使といふものを異朝へ遣はされ、或は英邁の僧侶などを渡され、直に彼國人に從ひ學ばせ、歸朝の後貴賤上下へ敎導の爲めになし給ひし事なれば、漸く盛んなりしは尤の事なり、此蘭學は左樣の事にも非ず、然るにかく成り行しはいかにと思ふに、夫醫家の事は、其敎へ方總て實に就くを以て先とする事ゆゑ、却て領會する事速かなるか、又は事の新奇にして異方妙術も有ることの樣に、世人も覺居る故、奸猾の徒これを名として、名を釣り利を射る爲に流布するものなるか、つら古今の形勢を考るに、天正慶長の頃、西洋の人漸々我西鄙に船を渡せしは、陽には交易、陰には欲する所有てなるべし、故に其災