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Page:Arai hakuseki zenshu 4.djvu/819

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ふるの道はあらず、もし我君の外につかふべき所の大君あり、我父の外につかふべきの大父ありて、其尊きこと、我君父のおよぶところにあらずとせば、家におゐての二尊、國におゐての二君ありといふのみにはあらず、君をなみし、父をなみす、これより大きなるものなかるべし、たとひ其敎とする所、父をなみし君をなみするの事に至らずとも、其流弊の甚しき、必らず其君を弑し、其父を弑するに至るとも、相かへり見る所あるべからず、

我國、ひとり東にあるのみならず、チイナもまた東にありて、其文物聲敎、古より稱して中土とす、其國またいかにと問ふ、されば此土の人のごときは、たとへば圓なる物を見るがごとく、チイナの人は、方なる物を見るに似たり、また此土の人溫にして和なる事、かくのごとしといひて、みづから手をもて其衣を把り、又手を似て其榻を撫て、チイナ人の固くして澁れる、これに似たり、近きを賤しみて、遠きをたつとぶべからずといふ、

按ずるに、方圓の說、其試る所あるに似たり、漢人のごときは、其所謂堯舜以來聖々相傳ふる道ありて、異端の言に至ては、老佛の微言も、なを行はれ難き所あり、我國のごときは、古より此かた佛氏の學盛にして、宗をたて、派をわかち、其徒をの我敎を倡ひ、天下の人、彼に歸せざれば、これに入り、みづから異敎を見て、怪しむ事をしらず、かれを轉じてこれに移すに、其說行はれやすき事、漢人の正を守て、動かしがたきがごとくにあらざれば也、

其こゝに來らむ始、本師命ぜし所、また彼吿訴ふる事ども、其大要いかにと問ふ、昔フランシスクス、サベイリウス、始て此土に來りて、我法こゝに行はれし事七十餘年、タイカフサメの時に至て、始て我徒を退け逐はる、〈タイカフサメは、こゝにいふ所の太閤樣也、其事は、秀吉九州を征されし時に、長崎に住せしパアテレを逐出されし事をいふなり、〉これよりして、我法の師徒、因誅をまぬかるゝものなく、つゐにエウロバ諸國の人、此に通ずる事を得ざるに至れり、先師ホンテへキス、マキスイムス、イノセンチウス、ウンデイシムス、〈ホンテへキスマキスイムスは、こゝに最第一無上等といふがごとし、ローマン敎化之主の號なり、イノセンチウスは名也、ウンデイシムスは、こゝに十一世といふがごとし、其第一祖より十一世にあたれば也、ウンは一つ也、デイシは、十也、ムスは、世といふがごとしといふ、〉此事を深く歎きしかど、其志むなしくして、十年前に終れり、