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りぬ。曙覧の歌すら四季のには題詠とおぼしきがあり、かつ善からぬが多し。題詠必ずしもしとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛驒ひだの鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。

日の光いたらぬ山のほらのうちに火ともしいりてかね掘出ほりいだ

赤裸まはだか男子おのこむれゐてあらがねのまろがり砕くつちうちふり

さひづるやからうすたててきらきらとひかるまろがりつきてにする

かけひかけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる

黒けぶりむらがりたたせ手もすまにふきとろかせばなだれおつるかね

とろくれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀の玉

しろがねの玉をあまたにはこ荷緒にのおかためて馬はしらする

しろがねの荷おえる馬をひきたてて御貢みつぎつかふる御世のみさかえ

 採鉱溶鉱より運搬に至るまでの光景仔細しさいに写しいだして目るがごとし。ただに題目の新奇なるのみならず、その叙述のたくみなる、実に『万葉』以後の手際なり。かの魚彦なひこがいたずらに『万葉』の語句を模して『万葉』の精神を失えるに比すれば、曙覧が語句をせずしてかえって『万葉』の精神を伝えたる伎倆は同日に語るべきにあらず。さわれ曙覧は徹頭徹尾『万葉』を擬せんと務めたるに非ず。むしろその思うままを詠みたるがおのずから『万葉』に近づきたるなり。しこうして彼の歌の『万葉』に似ざるところははたして『万葉』に優るところなりや否や、こはもっとも大切なる問題なり。

 余は断定を下していわん、曙覧の歌想は『万葉』より進みたるところあり、曙覧の歌調は『万葉』に及ばざるところありと。まず歌想につきて論ぜん。

〔『日本』 明治三十二年三月二十八日〕


 歌想に主観的なるものと客観的なるものとあり。『万葉』は主として主観的歌想を述べたるものにして客観的歌想は極めて少かりしが、『古今』以後、客観的歌想の歌、次第にその数を増加するの傾向を見る。

 主観的歌想の中にて理屈めきたるはその品卑しく趣味薄くして取るに足らず。『古今』以後の歌には理屈めきたるが多けれど『万葉集』、『曙覧集』にはなし。理屈ならぬ主観的歌想は多く実地より出でたるものにして、古人も今人もさまで感情の変るべきにあらぬに、まして短歌のごとく短くして、複雑なる主観的歌想を現すあたわず、ただ簡単なる想をのみ主とするものは、観察の精細ならざりし古代も観察の精細に赴きし後世も差異はなはだ少きがごとし。ただ時代時代の風俗政治等等しからざるがために材料または題目の上には多少の差異なきにあらず。例えば万葉時代には実地より出でたる恋歌の著しく多きに引きかえ『曙覧集』には恋歌は全くなくして、親をおもい子を悼み時をなげくの歌などがかえって多きがごとし。

 曙覧の歌、よつになる女の子を失いて

きのふまでわが衣手ころもでにとりすがり父よ父よといひてしものを