天皇は神にしますぞ天皇の勅としいはばかしこみまつれ
極めて安心に極めて平和なる曙覧も一たび国体の上に想い到る時は満腔の熱血を灑ぎて敬神の歌を作り不平の吟をなす。慷慨淋漓、筆、剣のごとし。また平日の貧曙覧に非ず。彼がわずかに王政維新の盛典に逢うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。
慶応四年春、浪華に
行幸あるに吾
宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに
天皇の御さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行
すめらぎの稀の行幸御供する君のさきはひ我もよろこぶ
天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひ人どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる
隠士も市の大路に匍匐ならびをろがみ奉る雲の上人
天皇の大御使と聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて
勅使をさえかしこがりて匍匐いおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦を拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾のことなり。
都にのぼりて
大行天皇の御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺に詣たりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるを畏けれどうれはしく思ひまつりて
ゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車のうしや世の中
曙覧は王政維新の名を聞きて、その実を見るに及ばざりしなり。
社会の一貧民としての曙覧、日本国民の一人としての曙覧は、臆測ながらにほぼこれを尽せり。ここより歌人としての曙覧につきて少しく評するところあらんとす。
曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんとするところなり。彼が「万葉』を学んで比較的善くこれを模し得たる伎倆はわが第二に賞揚せんとするところなり。そもそも歌の腐敗は『古今集』に始まり足利時代に至ってその極点に達したるを、真淵ら一派古学を闢き『万葉』を解きようやく一縷の生命を繫ぎ得たり。されど真淵一派は『万葉』を解きて『万葉』を解かず、口には『万葉』をたたえながらおのが歌は『古今』以下の俗調を学ぶがごときトンチンカンを演出して笑を後世に貽したるのみ。『万葉』が遥に他集に抽んでたるは論