ある日、多田氏の平生窟より人おこせ、おのが庵の壁の頽れかかれるをつくろはす来つる男のこまめやかなる者にて、このわたりはさておけよかめりとおのがいふところどころをもゆるしなう、机もなにもうばひとりてこなたかなたへうつしやる、おのれは盗人の入たらん夜のここちしてうろたへつつ、かたへなるところに身をちひさくなしてこのをの子のありさま見をる、我ながらをかしさねんじあへて
あるじをもここにかしこに追たてて壁ぬるをのこ屋中塗りめぐる
家の狭さと、あるじの無頓着さとはこの言葉書の中にあらわれて、その人その光景目前に見るがごとし。
おのがすみかあまたたび所うつりかへけれど、いづこもいづこも家に井なきところのみ、妻して水汲みはこばする事もかきかぞふれば二十年あまりの年をぞへにきける、あはれ今はめもやうやう老にたれば、いつまでかかくてあらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるにいときよき水あふれ出づ、さくもてくみとらるべきばかりおほうあるぞいとうれしき、いつばかりなりけむ□「しほならであさなゆふなに汲む水もからき世なりとぬらす袖かな」と、そぞろごといひけることのありしか、今はこのぬれける袖もたちまちかわきぬべう思はるれば、この新しき井の号を袖干井とつけて
濡しこし妹が袖干の井の水の涌出るばかりうれしかりける
家に婢僕なく、最合井遠くして、雪の朝、雨の夕の小言は我らも聞き馴れたり。
「独楽唫」と題せる歌五十余首あり。歌としては秀逸ならねど彼の性質、生活、嗜好などを知るには最便ある歌なり。その中に
たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふ時
たのしみはまれに魚烹て児等皆がうましうましといひて食ふ時
など貧苦の様を詠みたるもあり。
文人の貧に処るは普通のことにして、彼らがいくばくか誇張的にその貧を文字に綴るもまた普通のことなり。しこうしてその文字の中には胸裏に蟠る不平の反応として厭世的または嘲俗的の語句を見るもまた普通のことなり。これ貧に安んずる者に非ずして貧に悶ゆる者。曙覧はたして貧に悶ゆる者か否か。再びこれをその歌詠に徴せん。
余は思う、曙覧の貧は一般文人の貧よりも更に貧にして、貧曙覧が安心の度は一般貧文人の安心よりも更に堅固なりと。けだし彼に不平なきに非るもその不平は国体の上における大不平にして衣食住に関する小不平に非ず。自己を保護せずしてかえって自己を棄てたる俗世俗人に対してすら、彼は時に一、二の罵詈を加うることなきにしもあらねど、多くはこれを一笑に付し去りて必ずしも争わざるがごとし。「独楽唫」の中に
たのしみは木芽瀹して大きなる饅頭を一つほほばりしとき
たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹たてて食せけるとき