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歌日記

明石海人


すでにして〔はふり〕のことも済みぬかと父なる我にかかはりもなく


 子供の死んだ報せを受けたのは紀州〔こかは〕の近くの打田といふ処で田圃のまん中にある家を借りて自炊しながら、S病院へ通つてゐたときの事で、別れて来てから二年余り経つてゐた。炊事から洗濯から風呂をたてるのまで、みんな自分ひとりの手で済ますまつたくの一人暮しで、一日おきに病院へ通ふほかには、一口も口をきかないやうな日も珍らしくはなかつた。

 子供が腸炎で死に、もう葬式も済ませた。あなたには帰へつて貰はない方がよいと云ふ父や母の考へで、わざと今迄報せなかつたといふ意味の妻の手紙を読んでゐるとき、家を取りかこむ一面の紫雲英れんげさう畑には、ひつきりなしに囀る雲雀ひばりの声が続いてゐた。折から農閑期で、西国