其(その)敎育(けういく)に向(むか)つて殊(こと)に同情(どうじやう)を寄(よ)せられんこと、予(よ)の希望(きばう)して止(や)まざる所(ところ)なり。
從來(じうらい)アイヌにして敎員(けうゐん)と爲(な)りしもの六名(めい)あり、卽(すなは)ち幌別(ほろべつ)の金成太郞(かんなりたらう)氏(し)、靜內(しづない)の高月切松(たかつききりまつ)氏(し)、元(もと)室蘭(むろらん)の山根淸太郞(やまねせいたらう)、同(おなじく)留太郞(とめたらう)の兄弟(けいてい)二氏(し)、長萬部(おしやまんべ)の江賀寅三(えがとらざう)氏(し)及び十勝(とかち)の武隈氏(たけくまし)なり。而(しか)して金成(かんなり)、高月(たかつき)の二氏(し)は、品行(ひんかう)の不良(ふりやう)を以(もつ)て前(さき)に失敗(しつぱい)し、山根氏(やまねし)の兄弟(けいてい)は、溫良(をんりやう)の聞(きこ)えありしも、惜(をし)むらくは中途(ちうと)に病死(びやうし)し、今日(こんにち)殘(のこ)るは江賀(えが)、武隈(たけくま)の二氏(し)のみ。予(よ)は江賀(えが)、