Page:祓除と貨幣の関係.pdf/9

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に移り來つて、而して忌部氏が又た之をも司つて齋藏の長官は同時に大藏の長官となり、 Kirchenfiskus に兼ねて Hoffiskus をも與ることになつたことかと思ひます。而して此忌部氏が司る御幣に中るもの、即ち神及君への進獻品として多く用ゐられたものが貨幣として廣く用ゐらるゝものとなつたと想像すれば、忌部氏はまた貨幣の事にも關係があつたものかとも思へるのであります。

我邦上古には貨幣の事を何と申して居りましたか、獨逸の『ゲルド』の樣に遠く遡つて考へ得可き語は兎に角ありません。『ゼニ』『カネ』等は拉丁系統の monnaie, argent と同じく遙か後世の鑄貨時代に起つた語でありませう。併し私の唯一寸思付いた處では和幣の『ニギテ』は『ニギタヘ』の約であるにしろ、ないにしろ初は成程木綿ユフの事のみを稱したでせうが、後には必ずしも木綿のみならず、其代用品をも指して稱へたかと思ふのであります〈唾洟の事は勿論として〉而して書紀の筆者が『ニギテ』に充つるになる漢字を以てしたのは必ず偶然ならざることかと思います。成程後世の祝詞等には祓具には種々なるものを載せて居りますし、又天石屋の段にも和幣以外に進獻したものは樣々ありますが、取分け其中に就ても白靑兩種の和幣即ち木綿ユフと麻の二は重要なるものであつた樣に見へます。即ち『カヂ』の木の皮を織つ

續經濟學硏究 第二篇 經濟史雜考 一七七