コンテンツにスキップ

Page:祓除と貨幣の関係.pdf/7

提供:Wikisource
このページは校正済みです

さて私は我邦上古の生活に於てまた貨幣と宗敎及法制との間に密接なる關係あること祓除の習俗之を證することゝ考ふるものであります。wergeld に丁度該當するやうな習俗は之を我邦に見ることは出來ぬのでありますが、人身殊に人體の一部を祓具に供したことは手端吉棄物・足端凶棄物タナスエノヨシキヲヒモノ・アナスエノアシキヲヒモノとて手の爪・足の爪等をハタること〈素盞嗚尊の條にあり〉又た以唾爲白和幣。以洟爲靑和幣〈書紀一書〉とありて、唾や洟も和幣ニギテ即ち祓具としたことが察せられますし、進んでは多米氏系圖に『志賀高穴太宮御宇・・・・。爾時天皇御命贖乃人乎、四方國造獻支』とありて人間を祓具に供へたこともあるやに考られます。萬葉集十七、造酒歌『中臣の太詔詞言いひはらへ安加布アカフイノチも誰か爲にれ』とあるなども參考になることゝ思ひます。後世に及んでは祓除をなさしむると云ふは、損害賠償グルム氏の ersatz-loistung, schadenersatz と云ふもの〉の意に用ゐられたることもあるようてす。即ち孝德紀に

復有被役之民路頭炊飯。於是路頭之家。乃謂之曰何故任情炊飯余路强使祓除。復有百姓就他借甑炊飯。其配觸物而覆。於是甑主乃使祓除。如是等類愚俗所染。今悉除斷勿使復爲。

とあるを看ますれば餘程普く行はれて居つたかと察せられるのであります。


續經濟學硏究 第二篇 經濟史雜考 一七五