五 祓除と貨幣の關係 一七〇
『上古罪過ある者に祓物を課して其罪を贖はしめ海山の幸を相易へしことなとも即交易の義なり』
依て考へますに既に本居宣長氏も『今俗に物を買たる直を出すを拂ふとも、拂ひをするとも云は、祓除の意にあたれり、又これを濟すも云ふ、令㆑淸の意にて祓除の義に通へり』〈古事記傳六之卷三十七〉と說いて居られます。平田篤胤氏も『古史傳』〈六の二十三〉に本居氏の說を引いて居られます。其他同じ樣なる說明を繰返へしたるものも尠くはない樣でありまして『俚言集覽』〈下の百三十六〉等にも『ハラヒ。直を出すを云、濟すと云意なり即祓除の義なり」と致してあります。併しまた『古言梯』の頭注等に拂と祓とは活用が異なる由を記してもありますから、全く同源と云ふ譯ではありますまいが、兎に角兩者の間には餘程關係があるらしく考られます。本居氏の說明を見ますに『凡そ波良比に二あり、其一は伊邪那大神の阿波岐原の禊祓の如し、一は此の解除の如し、是れ罪犯ある人に科せて物〈祓具と云、書紀に見たり、天武卷には、此を祓柱とかけり〉を出し贖するなり、かゝれば其事も意も二別なるに似たれど、本は一なり(中略)、犯罪を解除るも、穢汚を淸むる禊と全同し』〈記傳九之卷三葉〉とありますから、波良比は贖罪の事、祓具とは贖罪の科と解す可きかと存じます。自ら犯せる罪によりて得たる債務(理想上の)穢汚によりて