50の霊的講話/講話33
マカリオス50の霊的講話
講話33
[編集]<< 人は絶えず真剣に神に祈らなければならない >>
1. 私たちは、単に身体的な習慣――声を上げること、沈黙すること、あるいは
2. このような状態において、主ご自身が魂を照らし、真の願いを捧げる方法を教え、神にふさわしい清らかな霊的祈り――すなわち「霊と
3. 主人自らがそこにいる家があらゆる装飾と美、そして輝きに満ちているように、主人を内に宿す魂もまた、あらゆる美と輝きで満たされます。なぜなら、主がその霊的な宝を携えて、その魂の内に住まい、その舵取りをしてくださるからです。しかし、主人が不在で主を持たない家には災いがあります。そのような家は荒廃し、あらゆる種類の不浄と無秩序で満たされてしまうからです。そこには、預言者の言葉にあるように「セイレーン(怪鳥)」や「悪霊」が住み着くことになります(イザヤ書13章21節)。それはまるで、打ち捨てられた家に野良猫や犬、そしてあらゆる汚物が入り込むのと同じことです。深刻な転落から立ち上がろうとせず、花婿との敵対関係を続けさせる力――思考を腐敗させ、キリストから引き離そうとする力――を内に抱き続ける魂には、災いがあります。
4. 魂が、あらゆることについて絶えず祈れという命(テサロニケの信徒への手紙一 5章17節)に従い、昼も夜も絶えず主を求め、主に叫び求めながら、力の及ぶ限り自らを一つにまとめようとしているのを主がご覧になるとき、主は約束された通りにその魂の「復讐(正当な裁きと救い)」を行ってくださいます(ルカによる福音書18章7節)。主はその魂から内なる悪を取り除き、汚れなき花嫁としてご自身に捧げられるのです。もしあなたがこれを真実だと信じるなら――実際、それは真実なのですが――自分自身に注意を向けなさい。あなたの魂が、その導きの光、そして真の糧と真の飲み物、すなわち主を見出したかどうかを省みなさい。もしそれらを見出していないなら、手に入れるまで昼も夜も求め続けなさい。ですから、太陽を目にするときは、真の太陽を求めなさい。あなたは盲目なのですから。光を仰ぐときは、自分の魂を見つめなさい。あなたは真の、そして善き光を得ているでしょうか。目に見えるものはすべて、魂の内の見えないものの影にすぎません。目に見える人のほかに、もう一人の内なる人がいます。その人の目はサタンによって盲目にされ、耳は聞こえなくさせられていました。しかし、イエスはこの内なる人を癒やすために来られたのです。父と聖霊と共に、主イエスに栄光と支配が世々限りなくありますように!アーメン。
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