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鳩の書/第1章/§4

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鳩の書

第1章

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§4.

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<< 謙虚さについて >>


多くの人が無意識のうちに放棄を実践しているため、本質的な放棄のしるしは従順さです[1]。しかし謙虚さには他のしるしもあります。例えば、集会で地位の低い人より下に座ること[2]、祈りの時に苦労せずに後ろに立つこと、貧しい人や困っている人と喜んで交わり、招かれれば共に歩むこと[3]、恥じることなく質素な衣服を着ること[4]などです。マル・イサク[5]はこう言っています。「謙遜は労苦することなしに多くの罪を償う[6]」。ヨハネス修道院長[7]はこう言っています。「傲慢さは、他の悪を伴わずにサタンを天から落としたのなら、謙虚さは、他の美徳を伴わずに天に昇るのだ[8]。」

人は傲慢さによって病んだとき、自己を知ることによって癒される[9]。人は初めに汚れた滴から創造されたが、最後には虫の悪臭を放つ餌となる。​​ある秘儀参入者はこう言いました。「尿道から二度も出てきた者が、どうして自らを高めることができようか?」[10]

脚注

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  1. Paradisus Patrum, p. 525 —531; Imitatio Christi I, 9; Scala, p.80
  2. Ihya' III, p. 309
  3. Ihya' III, p. 309
  4. Ihya' III, p. 298
  5. Introduction, p.30
  6. Ihya' III, p. 286
  7. Introduction, p.20
  8. Ihya' III, p. 285
  9. Scala, p. 317:
  10. Pirke Abot III, 1; Ihya' III, p. 288 and III, p. 303
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原文:

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翻訳文:

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