金槐和歌集/鎌倉右大臣家集の始にしるせる詞

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      鎌倉右大臣家集の始にしるせる詞

                            賀 茂 眞 淵

 

     其 一 つ

 古より移ろひ來にし世々の有樣を見るべきものは歌なり。古の天皇すべらぎ、事と有る時は大御手に弓取りしばり、大御背おほみそびらゆぎかき帶ばして、いかく雄々しき御稜威みいづをもて、千早振る荒ぶる人をまつろへ給ひ、ひず敎へず、見直し聞き直し給ひつつ、天地のまにまに治めまししかば、人草は天の如天皇すべらぎを尊み、地の如わが世々を平かに經れば、各ををしく直き心をぞもたりける。か有れば靑丹よし奈良の宮までは、詠める歌も古の心を傳へて、大丈夫ますらをは男さびして雄々しく猛く、たをやめはさすがに女さびするものから、猶直く强き心を失はずなんありける。其が後の大宮と成りにては、國土やふさはしからざりけん、いかき道をし行はせ給はざりければ、益人ますひととも、ひたぶるに上を畏みたらず、彼れにまひし是れにねぢけて、益良ますら武雄たけをの荒魂を失ひけるより、八束髭やつかひげ生ひたる男も、ぬえ草の女に似たらん事を思ひ、女はいよよたわやぎつつ、うはべ華やかに下の心はかたましくなん成り來にける。斯くて世の中くだちに下ち、衰へに衰へては、人の心も詠める歌も、谷蟇たにくゞのさ渡るがせばく、うつゆふの籠れるがいぶせき如くにして、うち聞くにも苦しくなんなり來にける。斯かりければ畏き御稜威みいづも遂に衰へまして、世の中久しく亂れにしを、百萬ももよろづ武夫たけをの伴、鳥が鳴くあづまより出でて、平らげ鎭め奉りしより此方、相模のや鎌倉のにして、古の大御代覺ゆるいかくををしき手振にかへして、大まつろへごと申せし時、此大まうち君の詠み出で給へる歌こそ、奧山の谷の岩垣踏みはららかし出でて、大空に翔けるたつの如く勢ひありて、大野らや草木も諸向もろむけ、八重立つ雲霧を拂ふ風のごとくひたぶるにして、いかく雄々しくみやびたるいにしへの姿に返り給へりけれ。今この事を思へば、いかく直からぬは古の神皇かみすめらぎの道にあらず、ををしくみやびたらぬは、大丈夫ますらをの歌ならぬ事を、さだかにぞ思ひ知りにける。

     其 二 つ

 ある人、この大まうち君の歌は、定家のまうち君にひ給へりと云へど、そは難波津を手ふ程のみにして云ふにも足らず。後に心を得給ひつるに至りては、今の都と下れる姿ならねば、彼の躬恒貫之と云ふも師に立ちあへんかは。古き詞を用ひられたるさま、古今集の中にもよみ人知らえぬ古き歌なるは、似つけるもいささけはあり。寬平延喜の頃のことばをたまたまとられたるは、ふさはしからぬぞ多き。かれば藤原奈良の宮のはじめつ方にこそ、師と云ふべき人はあらめ。さて定家の卿のしるし給へるものに、鎌倉の右府はけたる歌よみとぞおぼゆる。此歌をみるときは、歌はもの憂くなりぬとぞあなるは、さすがに此卿こそのたまひたれ。しからば是れに赴きたまひなんを、いと老いたまひて日なきなるべし。さて新勅撰に數多入れられたる其歌の、高きしらべ雄々しき心を、後の人は如何で思はざりけん。せばき箱の內にありて、然かも後の世の女めく歌を云ひへる人、天地の大かたみの中なる大丈夫歌を見ては、とみに心の行かぬにや有らん。

     其 三 つ

 今傳はれる萬葉集の中に、いにしへ撰ばれけんは、唯だ初め一つ二つの卷のみにして、三つの卷より下は、家々の集ともなれば、そが中には、いとよき歌、いと惡ろき歌、よき調ろき調も有るを、後の人はただ一わたりにのみ思ふらん。此きみは其善き惡しきをきて、詞も取るべきを取り、しらべもふべきをひ給へり。

     其 四 つ

 此公の集の歌は、初めなる、中なる、末なる有りと見ゆ。其初めなるには、くだれる世の垢づけるあり。中頃なるしも、一わたりさることと聞ゆるのみにて、なほ長足たけたらず。かれこの二つは總べてとらず。唯だ末にいたりて、けがれたる物皆はらひてて、淸き瀨に身禊みそぎしたらん心地するにはしるしを附けたり。凡そ後の人は、ひとくさのふしある巧みあるにのみ心を寄せて、古の心高き歌を知ることなし。いかにも一節ひとふし云ふべきを、わざと節をて、ただに云ひ流されたるなど、似るものなく高し。又一つの巧みもふしもなくて、つづけなされたる詞どもの調の、世にたぐひなきなどもおほし。を見知らんこと、萬葉善く知りたらん人ぞ知るべき。

     其 五 つ

 萬葉を後に讀みれるままに取り給へるも、はた有り。古の心は得られにたれど、其頃ふることを知りたる人し無ければ、え正しあへざりけるままなり。假名かなも古にたがへる事あるは、ただす人無き世のままなり。しかはあれど、斯かるやんごとなき人は、さる事をつぶさにつとむるものに有らず。さぶらふ人に其人無かりけるこそ惜しかりけれ。

 

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