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遺篇


     失題

嚴寒勉學坐深宵。冷面饑腸燈數挑。私意看來レバ爐上雪。胸中三省愧ヅルコト

     偶成  ○傳説、詠傑士秩父太郎、太郎文化中人。

一貫唯唯諾。從來鐵石肝。貧居生傑士。勳業顯多難。耐ヘテ梅花麗シク。經楓葉丹。如ラバ天意。豈敢ラン

     失題

ンデクバ主等痴人。認天心志氣振。百派紛紜亂レテ。千秋不ルハ一聲仁。

     示市來子  ○姪

世俗相反スル處。英雄却好親。逢ウテハ退。見テハ。齊クセバ。同ジウセバ。平生偏勉力セヨ。終始可

     楠公

奇※〈[#「竹かんむり/束」、U+41FF、76-1]〉明籌不カラ。正王事眞儒。憶君一死七生語。抱忠魂今有ルヤ

     武村卜居

卜居勿フト三遷。蘇子不兒子。市利朝名非我志。千金抛林泉

蘇東坡詩、人皆養子望聰明。我被聰明誤一生。唯願孩兒愚且魯。無災無難到公卿

     獄中所感  ○文久二年、三十六歳、沖永良部島貶謫中。

恩遇焚坑。人世浮沈似タリ晦明。縱ルモ葵向。若キモ意推。洛陽知己皆爲。南嶼俘囚獨竊。生死何ハン附與。願クハ魂魄ラン皇城

     贈土持政照  〈[#ここから割り注]〉○島吏土持政照善遇南洲翁〈[#「南洲翁」は底本では「南州翁」]〉、翁感激、結兄弟之義、文久三年、英艦襲鹿兒島、政照賣僕造船以備變、翁感其志、賦以贈。〈[#ここで割り注終わり]〉

精神不昔人清。專君恩壯氣横ハル。開眞意顯。揮俗縁輕。北堂貞訓能。先祖忠勤當力行。畢世勉メヨルヲ國事。無私純忠挺ンズ群英

     元旦

ルノ鐘聲歳月更。輕烟帶柴荊。佳辰先君公壽。起ヘテ朝衣鶴城

     贈土持政照

平素眼前皆不平。情之相適スルニス事情。偸仇寇。禁ニス死生。我許。兄稱弟却。從來交誼知何事。報サン至誠

     別土持成照

別離如又如。欲ラント涙紛紜。獄裡仁恩謝スルニ語。遠波浪スマデ

     讀關原軍記

東西一決戰關原。瞋髮衝イテ烈士憤。成敗存亡君勿。水藩先哲有公論

     兒島高徳行宮題詩※〈[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、77-6]〉

吁嗟雖シト范蠡。先士氣雄ナリ。十字血痕花色在。龍顏一笑認孤忠

     題櫻井驛訣別※〈[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、77-8]〉

慇懃遺訓涙盈。千載芳名在。花謝花開櫻井驛。幽香猶逗舊南山。

     酷暑有

奇雲蒸洛地。酷吏益威加。夕殿憂蚊蚋。炎郊苦シム蝮蛇。鋭刀頻𣠽。壯士直。天定人離ルル日。西風忽ハン。一、奇雲作苛雲

     書

トヲ。傲骨從來與俗違。自古名聲多。不林下荷ウテランニ

     偶成

世間多少失天眞。貧富廉貪未。請夷叔操。貴十五城

     偶成

世上毀譽輕キコトタリ。眼前百事僞邪眞。追思孤島幽囚樂。不今人古人

     贈大山巖赴任奧羽戰役

從來素志燦タリ交情。大義撑離別輕。一算投百世。片言愆千兵。必亡危害生粗暴。決スル奇謀發至誠。往矣愼哉雷火術。電光聲裡見輸贏

     憶弟隆興在英國留學

兄弟東西千里違。今宵齊客星微。欲レント姑息姑息。不多能早歸

     送藩兵爲天子親兵闕下

王家衰弱使ヲシテ。憂憤捐千百兵。忠義凝ツテ腸鐵石。爲カン堅城

     月照上人十三囘忌辰

相約シテ後先。豈※〈[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、78-13]〉ラン波上再生縁。囘セバ十有餘年夢。空シクテテ幽明墓前

     蒙朝鮮國之使命

酷吏去來秋氣清。雞林城畔逐ウテ。須蘇武歳寒操。應眞卿身後名。欲シテゲント訓。雖ルト舊朋盟。胡天紅葉凋零日。遙雲房霜劒横

     辭職有

時情。豈聽歡笑。雪イデ戰略。忘レテ和平。秦檜多遺類。武公難。正邪今那ラン。後世必ラン

     失題  ○一作除夜

白髮衰顏非トスル。壯心横ヘテキヲ勳。百千窮鬼吾何レン。脱出セン人間虎豹群。

     失題

ビカ辛酸志始。丈夫玉碎愧甎全。一家遺事人知ルヤ。不メニ兒孫美田

     寄雪篷  ○姓川口、謫居中相識。

秋氣早荒僻地。爽風應京城。雨餘涼動イテ閑眠足。夢冷ナリ松梢滴露聲。

     失題

我家松籟洗塵縁。滿ツル清風身欲ナラント。謬京華名利。此聲不三年。

     示菅實秀  ○莊内藩大參事、明治八年作。

相逢ウテ又如。飛。一諾半錢恥季子。晝情夜思不

     失題

官途艱險幾年。恰輕舟風怒號スルニ。昨日非於鋤下。半生齡可卷中。山中無累眞狸兎。獵漁有唯銃獒。誰ラン滿襟清賞足ルヲ。峯頭閑月萬尋高

     失題

柴門曲ゲテ逢迎。夢幻利名何フニ。貧極ツテ良妻未。時來牲犢應。願クハレテ山野レン天意。飽クマデ榮枯世情。世念已諸念息。烟霞泉石滿襟清

     失題

赤子慕心何ビン。青雲遼隔不ベカラシム。一貧一富如泡夢。昨日温情今路人。

     山行

。傲然長嘯斷峯間。請世上人心險。渉歴艱ナリ山路


     横山安武碑文


横山安武稱正太郎。森有恕之四子。母隈崎氏。出デテ横山安容之後。爲忠實而泛。事ヘテ色養。至テハ于事フルニ一レ。則シテ。皆發忠愛之心矣。安武在ルコト君側十餘年。排因習。革舊弊。且使メント宮中府中ヲシテ一體タラ。論辯不。其言一時能ハレ。而下情上達。宮府無間隔者。安武之功居キニ焉。癸亥年英艦來於鹿兒島港。人家數百罹兵燹。安武之家亦逢。邦君毎戸賜ウテ以救。安武以多年勤勞之功。特賞賜。安武恤故人貧困ナル。乘。以賜金ジテ於其而出。家人不。踊躍シテ天神之冥助也。安武死後。親戚檢日記。始安武一レ。嗚呼爲。爲。皆發シテ於至誠而然也。安武任ゼラル近侍。專公子。孜孜不。以爲ラク公子成於深宮。疎シト下情。切遊學。而自隨行シテ長州焉。有故召公子。安武亦從而歸レバ。則。於自反シテ。當益勵マシテ徳業。再遊學。始西京。去又至東京。當朝廷百官遊蕩驕奢。而誤者多。時論囂囂タリ。安武乃慨然トシテ。王家衰頽之機兆于此矣。爲臣子者。不千思萬慮以一レ。然シテ而雖尋常諫疏百口陳ズト一レ。力不矯正スル。則寸益而已。不一死以メンニ一レ。若感悟スル。豈無ラン小補。乃諫書。陳弊事十條。持シテ集議院。插門扉。退津輕邸門前。實明治三年庚午七月廿六日夜也。拂曉門吏開。則僵臥スル。以薩人也。驚薩邸。邸吏到レバ安武也。扶シテ。氣息未。曰ズト集議院。語僅。乃於院。答。今朝院門封書。取而上ルト于政府。走サニ安武。安武怡然トシテ瞑目矣。於世人感安武之死諫。空論忽。時弊亦以而改マル。安武以忠實之資。未一レ。而徒史鰌之尸也。噫。

(按)横山安武時弊十條を指摘したる諫書を集議院に上りて屠腹したるは、當時朝野を震駭せしめたる事實にして、其事情は此碑文に詳なり。聞く、南洲翁一生人の爲めに碑文を作りたるは實に兩度のみ。一は染川實秀の爲めに製したる墓碑銘にして、其一は即ち此碑文なりと。現に鹿兒島市福昌寺域内に建てり。翁が如何に安武其人を尊重したるかを察知すべし。世上流布の本文頗る異同あり。今ま石碑刻文(明治五年建)に據る。因みに云ふ、安武は故文部大臣子爵森有禮の實兄なり。


     祭戊辰戰死者


夫生者之有ルハ死。自然之理。豈得ルヲ乎。然レドモ死者人之所ンズル焉。獨大義ルコト於鴻毛ヨリ矣。以。輕ジテ而共。可交誼之至也。此人之言ヒテ。皆自感發シテ而忘。衆人不シテ而歸一致、所神盟者也。是以從於戊辰之役萬民塗炭之苦也。於十番隊中。一心同體猶右手有急。左手不シテズル一レ。何乎。嗟呼當難戰急激之間。一隊分四方。無フニ。憤戰衝突シテ而終焉。實ナラ吾骨。剖クニ吾肉。歴。猶不切痛。於同隊餘生者。相會シテ而掲戰亡之姓名。居于席上。永神盟之義。而ンコトヲ存亡親疎。願クハ大義セバ於泉下、必ラン也。請メン靈魂焉。

(按)右は明治八年頃戊辰戰死者の爲に招魂祭典を擧げたる時、翁自ら靈前に供へたる祭文なり。十番隊は越後口に苦戰し、死者多し。此文初めに戰死者山口直秀以下二十七人の姓名及夫卒三人の名を記し、終に西郷隆盛謹誌の文あり。(他に文中の隊名を易へたるのみにて同じ祭文あり)


     私學校祭文


學校者所以育スル善士也。不一郷一國之善士ノミ。必ント天下善士矣。夫戊辰之役。正。血戰奪鬪シテ而斃レタル。乃天下之善士也。故。感。祭于茲。以一郷之子弟。亦所以盡學校之職也。

(按)右は明治八年頃、有志戊辰戰歿者の追悼會を私學校に催ほし、翁に祭文を乞ひたるとき、翁の草したるものなり。


     送木尾このを君、日高君、救仁郷くにがう君三子之クヲ佛國


三子者將カント。臨言。而豈特メノミ離群乎哉ナランヤ。乃シテハント涙先。吾情猶昔日戰亡之諸君而別ルル也。嗚呼雖人亡ブト。以。彼魂魄必保護スル焉。何ルヲ乎。特正氣焉。彼正氣憤然發シテ而斃焉。子其シテ正氣而行矣。正氣スル一焉而已。三子者往矣。嗚呼正氣。誰ツテ維持乎。

(按)右は明治八年、翁私費を投じて私學校生徒を佛國に留學せしめたる時の送別の文なり。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。