遠い追憶(三好達治)

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本文[編集]

芥川さんの今もよく見る写真、片手であごを支へ、正面をきつた眼ざしの、うは眼づかひに何やら凝視してゐる、半身像。私はあの肖像を、かくべつ敬遠しないけれども、梶井にはあれが気に入らなかつた。たいへん気に入らない口吻で、何とかいつたけれども、言葉を正確におぼえてゐないから、ここには記しかねる。要するに、キザだといふのであつた。まだ芥川の生前、梶井は学生であつた。梶井にいはれてみると、なるほどあの写真には、いくらか気になるふしがないでもなかつたが、私にはその点さほど障碍にもならなかつた。梶井の言葉には、したたか、批難の意味があつたから、さうかな、いいぢやないか、これくらゐのかつかうをしたところで、と私はいつた。私は何かの都合で、ついさういふ写真ができ上つてしまつた、かもしれなかつた、ではないか、といつた。梶井はいやいやとかぶりをふつて、私の偶然説をはねつけた。私には、偶然でないポーズであつても、それくらゐの気取り、思ひ入れがこの作家にあつたところで、それが肯定できる気持があつた。芥川には茶目つ気があつたんだよ、と今日の私なら受けとる。さすがに当時はさうも受けとらなかつたから、つまらぬところで、意見がもつれた。
また別の日に、こんなことがあつた。芥川の今様


あはれあはれ旅人の
いつかは心やすらはん
垣ほを見れば山吹や
笠にさすべり枝のそり


に就て、梶井は二行目「心やすらはん」を反語と読まず、肯定的な推定と読んでゐるやうなことをいつた。それでは「あはれあはれ」が無駄になるではないかと、私はたしなめたが、梶井は片意地に自説をとつて改めなかつた。妙な男だなと私は思ひ、それでは日を改めて、おれのいふやうに読んでごらん、とその日はいつておいた。
そんなことはすぐに忘れてしまつたが、それから三年ばかりもたつたであらうか、ある日伊丹の郊外に、だいぶに病気の悪くなつた彼を訪ねた日の雑談の途中に、彼は突然頭をたたくやうなしぐさをして、まちがひまちがひ、あれはおれのまちがひ…といつて愉快さうに笑つた。どうしてあんな思ひ違ひをしたのかな、ゲーテの詩にあの一行に似たのがあつて、その方に拘束されてゐた、といふ意味のことをいつて苦笑した。
梶井はふだん気軽に無邪気に融通のきく性分であつたが、どうかすると、一事に拘束される不器用な一面もまた備へてゐた。私には後者の一面が、彼に於て貴く面白く思はれることが度々であつた。
芥川の写真にかぶりを振つた時期は、それより以前からであつたが、梶井の注意は最も強く志賀直哉に集中してゐる時分であつた。たぶんその方の拘束状態からの作用が、あの時梶井の内部にはいくらかは作用してゐたのではなかつたかと私は思ふ。これはかりそめの私の推察、そんなあやふやな推察の上で、私はやはり、それが梶井基次郎だといふ風に思ふ。

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