通俗正教教話/十誡の第一誡命
▼十誡 の第一 誡命
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我 は主 汝 の神也 我 の外 爾 の神 あるなし>>
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問
- 答 神様は
実 に此 言 を以 て人々 に己 の如何 なる者 なるかをお示 しになり且 つ人々 に主 なる真 の神 を識 らねばならぬことをお命 じになったので御座います。
問
- 答
其 には先 づ常 から心 掛 けて居 て少 しでも多 く神様のことを知 ろうと志 し、会 堂 に詣 でて神様のことを聞 く許 りでなく家 に帰 っても聖書 とか、聖人 の書 き下 した書物 とかを勤 めて読 む様 にして常 に心 から『神様 』と謂 ふことを離 さぬ様 にさへすれば神様のことは自 ら能 く解 って来 るので御座います。
問 『
- 答
其 は私 共 が一心 不 乱 に真 の神様に心 を向 けて其 を真 心 から崇 め敬 はねばならぬと謂 ふことをお示 しになった言 で御座います。
問
- 答
其 には先 づ第一に神様を真 心 から信仰 し、第二には私 共 が何 か事 を行 ひまする時 には何時 でも丁 度 自分が凡 てを御 存 じである神様の御 前 に在 るやうな思 を以 て事 を行 ひ、第三には神様を畏 れ敬 ひ神様の怒 に触 れぬ様 に努 め、第四には神様を依 り頼 み、第五には神様を心 から慕 ひ、第六には神様の御 命令 ならば設令 其 が自 分 の気 に合 はなくとも其 に絶対 に服従 し、第七には神様を崇 め敬 ひ、第八には神様の御徳 を讃 め称 へ、第九には神様が私 共 に被下 る御 惠 を神様に感謝し、第十には常 に神様の御 名 を心 から離 さず何事 をなすにも神様の御名 を以 て創 むる様 にすれば神様を敬 ふことが立派 に出来 るので御座います。
問
- 答
否 未 だ御座います、其 は心 の中 の心 掛 でなく先 づ謂 はば外部 のことでは御座いまするが併 し誠 に神様を敬 はんとする人 には是非 とも此事 をも併 せ行 はねばなりませぬ、其 行 と申 しまするのは第一に神様の御名 を人々 の間 に擴 めることで之 が為 めには如何 なる困難 をも忍 ばなければなりませぬ、第二には教会の定 めた祈 祷 に熱心 に與 り、其 規 則 と儀 式 とを確 く守 ることで御座います。
問
- 答
其 は次 の様 な罪 で御座います、此様 な罪 を能 く弁 へますれば一層 能 く第一誡命 の意味 が明瞭 になるので御座います。 先 づ第一は無 神論 と申 しまして人 が神 の有 ることを認 めず神 は無 い者 で有 るなどと謂 ふことなので御座います、其様 なことを謂 ふ人 は大抵 は悪 い行 をする人 で、神 を認 めぬことは第一誡命 に悖 る罪 の内 でも中々 の大罪 で御座います、第二は多 神論 で唯 一 の真 の神 に代 へて種々 様々 な世 の中 の物体 を頂 いて神 とすることで御座います此 の罪 は基督教 を信 じない日本人に甚 だ多 い罪 で御座います、第三は薄信 と申 しまして人 が神様の有 ることは信 じて居 ても其 神様の御 誡命 やお示 を信 じないことで御座います、第四は異 端 と申 しまして、真 の神 の教 に神様の御 旨 に添 はぬ人 の考 へ出 した偽 の想 を附 け加 へることで御座います、第五は岐 教 と申 しまして教会で教 へて居 りまする正 しい儀 式 を破 って恣 に其 儀 式 に附 け加 へをすることで御座います、第六は、背信 で人 を懼 れたり世 間 を憚 ったり又 は名 利 の為 に真 の教 を棄 ることで御座います、第七は自 暴 と申 しまして神様から到底 も自 分 は恩 寵 と救 贖 を受 くることが出来 ない者 であると思 ひ込 んで自 ら自 暴 自棄 に沈 むことで御座います、第八は迷信 で妖 術 やら魔 術 やら凡 て世 の中 の奇 なる力 を信 じ其 力 に只管 頼 ることで御座います、第九は妄信 と申 しまして世 の中 の普 通 の物体 に神 力 があると思 って神様に頼 らず、其 に頼 ることで御座います、第十は怠 惰 で正 しき教 を聞 くべき便 利 の有 るにも拘 らず怠惰 の為 めに其 を聞 かなかったり又 は神様に対 する祈 祷 及 び義務 を怠 る罪 で御座います、第十一は偏愛 と申 しまして世 界 の物 を神様よりも以 上 に愛 し過 ごすことで御座います、第十二は阿諛 で神様に悦 ばれることを慮 らず人 に喜 ばるることを熱心 に努 むることで御座います、第十三は自 信 過 度 と申 しまして神様の御 慈 と扶助 に倚 り頼 まず己 若 しくは人 の才 智 や勢 力 を只管 倚 り頼 むことで御座います。
問
- 答
其 は若 し私 共 が人 に諂 って其人 の悦 を得 ることに汲々 とし又人 の権勢 を頼 んで神様を忘 れて了 まうなれば取 もなほさず私 共 は真 の神様を捨 てて其人 を己 の神 とするに均 しいので御座います、ですから其様 な行 は第一誡命 に反対 する行 で御座います。
問
- 答
聖 使徒 パエルは人 に諂 ふことの神 に背 くことを斯 う申 して居 ります『我 今 人 の心 を得 んと欲 するか神 の心 を得 んと欲 するか、抑々 人 を悦 ばしめんことを勉 むるか若 し我仍 人 を悦 ばしめば則 ハリストスの僕 たらざらん』(ガラテヤ一の十)預 言者 エレミヤも人 の力 を恃 むことの神 を辱 むるものなることを斯 様 申 して居 りまする『主 は斯 く謂 ひ給 ふ凡 そ人 を恃 み肉 を其 臂 とし心 に主 を離 るる人 は詛 るべし』(エレミヤ書十七の五)
問
- 答
其 は主 が申 されました通 り世 の中 の萬 事 を放擲 って只管 神 の事 に心 を注 ぎ且 つ己 を捨 てたる克 己 の行 をなさねばなりませぬ主 イイスス ハリストスは嘗 て神 に対 する充分 の務 めをなさうと志 しながら然 も尚 ほ世 の中 の事 に未 練 を残 して居 る一人 の少 年 を誡 めて申 されましたには『爾 完 全 ならんと欲 せば往 きて爾 の所有 を售 りて貧者 に施 せ然 らば財 を天 に有 たん且 つ来 りて我 に従 へ』(馬太十九の二十一)と之 は人 が若 し完 全 に神様に対 する義務 を尽 さうと思 ったならば凡 ての世 の中 の萬 事 を放擲 って只 神 のこと許 りを考 へなければならぬことを教 へられた言 で御座います、主 は又 己 に克 つことを教 へられましたには、『我 に従 はんと欲 する者 は己 を捨 て其 十 字架 を負 ひて我 に従 へ』(マルコ八の三十四)茲 に申 されて居 まする『十字架』とは死 する覚 悟 と謂 ふ意味 なので御座います。
問
- 答
己 に克 つとは凡 ての慾 を打殺 し、世 の中 の萬 事 に恋々 たることを止 めて事 を行 ふにも常 に死 する覚 悟 を以 て行 ふことで御座います。
問
- 答
其 には神様から受 くる立派 な御 惠 と世 の中 の娯楽 より受 くる慰藉 に数倍 した慰藉 が有 るので御座います、此様 な御 惠 と慰藉 こそ苦 も禍 も破 ることの出来 ぬもので御座います聖書 に申 して御座いますには『ハリストスの苦 の我 等 の中 に増 加 するが如 く是 くの如 くハリストスに由 りて我 等 の慰 も増 加 するなり』(コリンフ後一の五)[1]と此 言 は私 共 が神 の為 に苦 めば苦 しむ程 神様の惠 も次 第 に多 くなると謂 ふことを申 したもので御座います。
問
- 答
決 して悖 ては居 りませぬ教会が聖人 義 人 を恃 むのは決 して聖人 義 人 を神 とするのではなく彼 等 の内 にある神様の御 惠 の力 を敬 ひ彼 等 の力 を籍 りて共々 に神様を恃 むので御座いまするから決 して十誡 には悖 って居 りませぬ。
▼十誡の第二誡命
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汝 自己 の為 に何 の偶像 をも彫 む可 からず又 上 は天 に在 る者 下 は地 に在 る者 并 に地 の下 の水 の中 に在 る者 の何 の形 をも作 るべからず之 を拝 み之 に事 ふる可 らず>>
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問 第二誡命に
- 答
偶像 とは誡命 の内 に申 して御座いまする通 り人 が神 として崇 め敬 はん為 に作 り出 した諸々 の像 のことで御座います神様は実 に十誡 の内 の第二誡命に於 て其様 な人 の作 り出 した偶像 を神 として拝 むことを御 禁 じになったので御座います。
問
- 答
決 して偶像 崇拝 にはならないので御座います、若 し私 共 が其 聖像 や十 字架 を神 として拝 んだならば其時 は偶像 崇拝 になるで御座いませうが併 し正教会で祈 祷 に其 を用 ふるのは其 を神 として拝 むのでは無 く神 を思 ひ出 す助 とするので私 共 は聖像 と十 字架 を見 て心 の中 を清 め神 に心 を向 けるので御座います、又其 聖像 や十 字架 を尊 び敬 ふのは丁 度 私 共 が親 の写真 を敬 ひ其 に敬礼 をすると同 じ意味 なので御座います、誰 も親 の写真 に御辞儀 をしたからとて其親 を神 として拝 んだと謂 ふ者 は御座いますまい、私 共 が聖像 や十 字架 に敬礼 をしましても其 と同 じで其 を神 とせず神 の御 写真 としたならば決 して偶像 崇拝 にはならないので御座います、其 ならば何故 彫刻 像 を用 いませんかと謂 へば彫刻 像 は兎 もすれば無智 の者 が其 を神 とします様 なことが出来 易 いもので御座いますから教会では特 に之 を避 けたので御座います。
問
- 答
用 いなくても祈 祷 の出来 ないことは御座いません、教会では屡々 已 むを得 ぬ時 には十 字架 も聖像 もなく祈 祷 をすることも御座いまするが、併 し親 とか友人 とかを思 ひ起 して其 健康 を祈 るとか其 後 生 を弔 ふとか致 しまする時 に其人 の写真 が有 りますれば一層 能 く其人 の面影 を忍 び出 して深 く其人 を祭 ることが出来 ますると同 じで私 共 も聖像 が有 り十 字架 が有 れば無 いよりも一層 よく神様を祭 ることが出来 るので御座います。
問
- 答
先 づ第一に世 の俗 事 を全 く忘 れ去 り心 を上 に向 けて、聖像 が表 す所 の義 人 のことを思 ひ浮 べ熱心 に神様に己 の救贖 を願 はなければなりませぬ。
問
- 答 『
偶像 崇拝 』と申 します。
問 『
- 答
他 に尚 ほ『偶像 崇拝 』の罪 の内 に数 へらるる罪 が御座います、其 は『強慾 』と『酒 食 に耽 ること』に『傲慢 と世 の名 誉 に憧 るること』で御座います。
問
- 答
其 は『強慾 』な人 は神 を忘 れて金銭 と宝 とを拝 み一生 懸命 に其為 に骨 を折 りますから畢竟 金銭 を偶像 として拝 むと同 じで御座います、聖書 にも此事 を申 して御座います『貪慾 は拝偶像也 』(コロサイ三の五)
問 では
- 答
其 は人 に情 を掛 け心 を潔白 にして世 の富 や宝 に齷齪 しないやうにするので御座います。
問
- 答
此 も矢張 り酒 食 に耽 る人 は神様を全 く忘 れて只 己 の口 と腹 の慾 を満 す為 に朝 から晩迄 骨 を折 るからで御座います、彼 等 は畢竟 り己 の腹 を神様として此 に使 へて居 るので御座います、聖書 にも申 して御座いますには『彼 等 の神 は腹 なり』(ヒリッピ三の十九)之 を言 ひ換 へますれば彼 等 酒 食 に耽 る人 は己 の腹 を神 として拝 んで居 るので御座います。
問 では
- 答
其様 な人 には節制 をなし斎 を行 って心 を飲食上 のことより離 す様 に勧 めなければなりませぬ。
問
- 答
傲慢 な人 は己 の才 智 や学問 を人 の前 に誇 り己 自 らが己 の身 を神 として崇 むる許 りではなく人 をして己 を拝 ましめんとし、『名 誉 を徒 に追 ふ人 』は名 誉 を神 として常 に拝 んで居 りまするから偶像 崇拝 になるので御座います。
問
- 答
今一 つ御座います、其 は『偽 善 』と謂 って心 の内 にない事 を表 に装 って人 の尊敬 を得 、人 をして自 分 を拝 ましめやうとする行 で御座います。
問
- 答
謙遜 と隠徳 を人 に施 さねばなりませぬ。
脚注
[編集]- ↑ 原文は「コリンフ一の五」ですが「コリンフ後一の五」に修正しました。