西方の人
1 この人を見よ[編集]
わたしは
十年ばかり前に芸術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛してゐた。長崎の「日本の聖母の寺」は未だに私の記憶に残つてゐる。かう云ふわたしは北原白秋氏や木下 氏の いた種をせつせと拾つてゐた に過ぎない。それから又何年か前にはクリスト教の為に殉じたクリスト教徒たちに或興味を感じてゐた。殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を与へたのである。わたしはやつとこの頃になつて四人の伝記作者のわたしたちに伝へたクリストと云ふ人を愛し出した。クリストは今日のわたしには の人のやうに見ることは出来ない。それは或は紅毛人たちは勿論、今日の青年たちには笑はれるであらう。しかし十九世紀の末に生まれたわたしは彼等のもう見るのに飽きた、―― ろ倒すことをためらはない十字架に目を注ぎ出したのである。日本に生まれた「わたしのクリスト」は必しもガリラヤの湖を眺めてゐない。赤あかと実のつた柿の木の下に長崎の入江も見えてゐるのである。従つてわたしは歴史的事実や地理的事実を顧みないであらう。(それは少くともジヤアナリステイツクには困難を避ける為ではない。若し真面目に構へようとすれば、五六冊のクリスト伝は容易にこの役をはたしてくれるのである。)それからクリストの一言一行を忠実に挙げてゐる余裕もない。わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。 しい日本のクリスト教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。
2 マリア[編集]
マリアは唯の女人だつた。が、或夜聖霊に感じて
ちクリストを生み落した。我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの や に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。クリストの母、マリアの一生もやはり「涙の谷」の中に通つてゐた。が、マリアは忍耐を重ねてこの一生を歩いて行つた。世間智と愚と美徳とは彼女の一生の中に一つに住んでゐる。ニイチエの はクリストに対するよりもマリアに対する叛逆だつた。
3 聖霊[編集]
我々は風や旗の中にも多少の聖霊を感じるであらう。聖霊は必ずしも「聖なるもの」ではない。唯「永遠に
えんとするもの」である。ゲエテはいつも聖霊に Daemon の名を与へてゐた。のみならずいつもこの聖霊に捉はれないやうに警戒してゐた。が、聖霊の子供たちは――あらゆるクリストたちは聖霊の為にいつか捉はれる危険を持つてゐる。聖霊は悪魔や天使ではない。勿論、神とも異るものである。我我は時々善悪の に聖霊の歩いてゐるのを見るであらう。善悪の彼岸に、――しかしロムブロゾオは幸か不幸か精神病者の脳髄の上に聖霊の歩いてゐるのを発見してゐた。
4 ヨセフ[編集]
クリストの父、大工のヨセフは実はマリア自身だつた。彼のマリアほど尊まれないのはかう云ふ事実にもとづいてゐる。ヨセフはどう
に見ても、 余計ものの第一人だつた。
5 エリザベツ[編集]
マリアはエリザベツの友だちだつた。バプテズマのヨハネを生んだものはこのザカリアベの妻、エリザベツである。麦の中に
の花の咲いたのは に偶然と云ふ外はない。我々の一生を支配する力はやはりそこにも動いてゐるのである。
6 羊飼ひたち[編集]
マリアの聖霊に感じて
んだことは羊飼ひたちを騒がせるほど、醜聞だつたことは確かである。クリストの母、美しいマリアはこの時から人間苦の に上り出した。
7 博士たち[編集]
東の国の博士たちはクリストの星の現はれたのを見、黄金や
や を宝の に入れて捧げて行つた。が、彼等は博士たちの中でも かに二人か三人だつた。他の博士たちはクリストの星の現はれたことに気づかなかつた。のみならず気づいた博士たちの一人は高い台の上に みながら、(彼は誰よりも年よりだつた。)きららかにかかつた星を見上げ、はるかにクリストを憐んでゐた。「又か!」
8 ヘロデ[編集]
ヘロデは或大きい機械だつた。かう云ふ機械は暴力により、多少の手数を省く為にいつも我々には必要である。彼はクリストを恐れる為にベツレヘムの幼な児を皆殺しにした。勿論クリスト以外のクリストも彼等の中にはまじつてゐたであらう。ヘロデの両手は彼等の血の為にまつ赤になつてゐたかも知れない。我々は恐らくこの両手の前に不快を感じずにはゐられないであらう。しかしそれは何世紀か前のギロテインに対する不快である。我々はヘロデを憎むことは勿論、軽蔑することも出来るものではない。いや、寧ろ彼の為に憐みを感じるばかりである。ヘロデはいつも玉座の上に憂欝な顔をまともにしたまま、
や の中にあるベツレヘムの国を見おろしてゐる。一行の詩さへ残したこともなしに。……
9 ボヘミア的精神[編集]
幼いクリストはエヂプトへ行つたり、更に又「ガリラヤのうちに避け、ナザレと云へる
」に止まつたりしてゐる。我々はかう云ふ幼な児を佐世保や横須賀に転任する海軍将校の家庭にも見出すであらう。クリストのボヘミア的精神は彼自身の性格の前にかう云ふ境遇にも潜んでゐたかも知れない。
10 父[編集]
クリストはナザレに住んだ後、ヨセフの子供でないことを知つたであらう。或は聖霊の子供であることを、――しかしそれは前者よりも決して重大な事件ではない。「人の子」クリストはこの時から正に二度目の誕生をした。「女中の子」ストリントベリイはまづ彼の家族に
した。それは彼の不幸であり、同時に又彼の幸福だつた。クリストも恐らくは同じことだつたであらう。彼はかう云ふ孤独の中に仕合せにも彼の前に生まれたクリスト――バプテズマのヨハネに遭遇した。我々は我々自身の中にもヨハネに会ふ前のクリストの心の陰影を感じてゐる。ヨハネは野蜜や を食ひ、荒野の中に住まつてゐた。が、彼の住まつてゐた荒野は必しも日の光のないものではなかつた。少くともクリスト自身の中にあつた、薄暗い荒野に比べて見れば……。
11 ヨハネ[編集]
バプテズマのヨハネはロマン主義を理解出来ないクリストだつた。彼の威厳は
のやうにそこにかがやかに残つてゐる。彼のクリストに及ばなかつたのも恐らくはその事実に存するであらう。クリストに洗礼を授けたヨハネは{{Ruby|檞の木の力を失つてゐた。彼の最後の はクリストの最後の慟哭のやうにいつも我々を動かすのである。――「クリストはお前だつたか、わたしだつたか?」
ヨハネの最後の慟哭は――いや、必しも慟哭ばかりではない。太い檞の木は枯かかつたものの、未だに外見だけは枝を張つてゐる。
しこの気力さへなかつたとしたならば、二十何歳かのクリストは決して冷かにかう言はなかつたであらう。「わたしの現にしてゐることをヨハネに話して聞かせるが善い。」
12 悪魔[編集]
クリストは四十日の断食をした後、
のあたりに悪魔と問答した。我々も悪魔と問答をする為には何等かの断食を必要としてゐる。我々の或ものはこの問答の中に悪魔の誘惑に負けるであらう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は一生を通じて悪魔と問答をしないこともあるのである。クリストは第一にパンを けた。が、「パンのみでは生きられない」と云ふ註釈を施すのを忘れなかつた。それから彼自身の力を めと云ふ悪魔の理想主義者的忠告を斥けた。しかし又「主たる汝の神を試みてはならぬ」と云ふ弁証法を用意してゐた。最後に「世界の国々とその栄華と」を斥けた。それはパンを斥けたのと或は同じことのやうに見えるであらう。しかしパンを斥けたのは現実的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理的決闘はクリストの勝利に違ひなかつた。ヤコブの天使と組み合つたのも恐らくはかう云ふ決闘だつたであらう。悪魔は にクリストの前に頭を垂れるより外はなかつた。けれども彼のマリアと云ふ女人の子供であることは忘れなかつた。この悪魔との問答はいつか重大な意味を与へられてゐる。が、クリストの一生では必しも大事件と云ふことは出来ない。彼は彼の一生の中に何度も「サタンよ、退け」と言つた。現に彼の伝記作者の一人、――ルカはこの事件を記した後、「悪魔この試み皆 りて暫く彼を離れたり」とつけ加へてゐる。
13 最初の弟子たち[編集]
クリストは僅かに十二歳の時に彼の天才を示してゐる。が、洗礼を受けた後も誰も弟子になるものはなかつた。村から村を歩いてゐた彼は定めし寂しさを感じたであらう。けれどもとうとう四人の弟子たちは――しかも四人の漁師たちは彼の左右に従ふことになつた。彼等に対するクリストの愛は彼の一生を貫いてゐる。彼は彼等に囲まれながら、見る見る鋭い舌に富んだ古代のジヤアナリストになつて行つた。
14 聖霊の子供[編集]
クリストは古代のジヤアナリストになつた。同時に又古代のボヘミアンになつた。彼の天才は飛躍をつづけ、彼の生活は一時代の社会的約束を踏みにじつた。彼を理解しない弟子たちの中に時々ヒステリイを起しながら。――しかしそれは彼自身には大体歓喜に満ち渡つてゐた。クリストは彼の詩の中にどの位情熱を感じてゐたであらう。「山上の教へ」は二十何歳かの彼の感激に満ちた産物である。彼はどう云ふ前人も彼に
かないのを感じてゐた。この海のやうに高まつた彼の天才的ジヤアナリズムは勿論敵を招いたであらう。が、彼等はクリストを恐れない には行かなかつた。それは実に彼等には――クリストよりも人生を知り、従つて又人生に対する恐怖を抱いてゐる彼等にはこの天才の量見の呑みこめない為に外ならなかつた。
15 女人[編集]
大勢の女人たちはクリストを愛した。
マグダラのマリアなどは、一度彼に会つた為に七つの悪鬼に攻められるのを忘れ、彼女の職業を超越した詩的恋愛さへ感じ出した。クリストの命の終つた後、彼女のまつ先に彼を見たのはかう云ふ恋愛の力である。クリストも亦大勢の女人たちを、――就中マグダラのマリアを愛した。彼等の詩的恋愛は未だに のやうに匂やかである。クリストは度たび彼女を見ることに彼の寂しさを慰めたであらう。後代は、――或は後代の男子たちは彼等の詩的恋愛に冷淡だつた。(尤も芸術的主題以外には)しかし後代の女人たちはいつもこのマリアを嫉妬してゐた。「なぜクリスト様は誰よりも先にお母さんのマリア様に再生をお示しにならなかつたのかしら?」
それは彼女等の洩らして来た、最も偽善的な歎息だつた。
16 奇蹟[編集]
クリストは時々奇蹟を行つた。が、それは彼自身には一つの比喩を作るよりも容易だつた。彼はその為にも奇蹟に対する嫌悪の情を抱いてゐた。その為にも――キリストの使命を感じてゐたのは彼の道を教へることだつた。彼の奇蹟を行ふことは後代にルツソオの
り立つた通り、彼の道を教へるのには不便を与へるのに違ひなかつた。しかし彼の「小羊たち」はいつも奇蹟を望んでゐた。クリストも亦三度に一度はこの願に従はずにはゐられなかつた。彼の人間的な、余りに人間的な性格はかう云ふ一面にも はれてゐる。が、クリストは奇蹟を行ふ度に必ず責任を回避してゐた。「お前の信仰はお前を
した。」しかしそれは同時に又科学的真理にも違ひなかつた。クリストは又或時はやむを得ず奇蹟を行つた為に、――或
に苦しんだ女の彼の にさはつた為に彼の力の脱けるのを感じた。彼の奇蹟を行ふことにいつも多少ためらつたのはかう云ふ実感にも明らかである。クリストは、後代のクリスト教徒は勿論、彼の十二人の弟子たちよりもはるかに鋭い理智主義者だつた。
17 背徳者[編集]
クリストの母、美しいマリアはクリストには必しも母ではなかつた。彼の最も愛したものは彼の道に従ふものだつた。クリストは又情熱に燃え立つたまま、大勢の人々の集つた前に
にもかう云ふ彼の気もちを言ひ放すことさへ らなかつた。マリアは定めし戸の外に彼の言葉を聞きながら、悄然と立つてゐたことであらう。我々は我々自身の中にマリアの苦しみを感じてゐる。たとひ我々自身の中にクリストの情熱を感じてゐるとしても、――しかしクリスト自身も亦時々はマリアを憐んだであらう。かがやかしい天国の門を見ずにありのままのイエルサレムを眺めた時には。……
18 クリスト教[編集]
クリスト教はクリスト自身も実行することの出来なかつた、逆説の多い詩的宗教である。彼は彼の天才の為に人生さへ笑つて投げ棄ててしまつた。ワイルドの彼にロマン主義者の第一人を発見したのは当り前である。彼の教へた所によれば、「ソロモンの栄華の極みの時にだにその装ひ」は風に吹かれる一本の百合の花に
かなかつた。彼の道は 詩的に、――あすの日を思ひ はずに生活しろと云ふことに存してゐる。何の為に?――それは勿論ユダヤ人たちの天国へはひる為に違ひなかつた。しかしあらゆる天国も せずにはゐることは出来ない。石鹸の匂のする薔薇の花に満ちたクリスト教の天国はいつか空中に消えてしまつた。が、我々はその代りに幾つかの天国を造り出してゐる。クリストは我々に天国に対する を呼び起した第一人だつた。更に又彼の逆説は後代に無数の神学者や神秘主義者を生じてゐる。彼等の議論はクリストを茫然とさせずには かなかつたであらう。しかし彼等の或者はクリストよりも更にクリスト教的である。クリストは兎に角我々に現世の向うにあるものを指し示した。我々はいつもクリストの中に我々の求めてゐるものを、――我々を無限の道へ駆りやる の声を感じるであらう。同時に又いつもクリストの中に我々を んでやまないものを、――近代のやつと表現した世界苦を感じずにはゐられないであらう。
19 ジヤアナリスト[編集]
我々は唯我々自身に近いものの外は見ることは出来ない。少くとも我々に迫つて来るものは我々自身に近いものだけである。クリストはあらゆるジヤアナリストのやうにこの事実を直覚してゐた。花嫁、葡萄園、驢馬、工人――彼の教へは目のあたりにあるものを一度も利用せずにすましたことはない。「善いサマリア人」や「
息子の帰宅」はかう云ふ彼の詩の傑作である。抽象的な言葉ばかり使つてゐる後代のクリスト教的ジヤアナリスト――牧師たちは一度もこのクリストのジヤアナリズムの効果を考へなかつたのであらう。彼は彼等に比べれば勿論、後代のクリストたちに比べても、決して遜色のあるジヤアナリストではない。彼のジヤアナリズムはその為に の古典と肩を並べてゐる。彼は実に古い炎に新しい を加へるジヤアナリストだつた。
20 エホバ[編集]
クリストの度たび説いたのは勿論天上の神である。「我々を造つたものは神ではない、神こそ我々の造つたものである。」――かう云ふ唯物主義者グウルモンの言葉は我々の心を喜ばせるであらう。それは我々の腰に垂れた鎖を
りはなす言葉である。が、同時に又我々の腰に新らしい鎖を加へる言葉である。のみならずこの新らしい鎖も古い鎖よりも強いかも知れない。神は大きい雲の中から細かい神経系統の中に下り出した。しかもあらゆる名のもとにやはりそこに位してゐる。クリストは勿論目のあたりに度たびこの神を見たであらう。(神に会はなかつたクリストの悪魔に会つたことは考へられない。)彼の神も亦あらゆる神のやうに社会的色彩の強いものである。しかし に 我我と共に生まれた「主なる神」だつたのに違ひない。クリストはこの神の為に――詩的正義の為に戦ひつづけた。あらゆる彼の逆説はそこに を発してゐる。後代の神学はそれ等の逆説を最も詩の外に解釈しようとした。それから、――誰も読んだことのない、退屈な無数の本を残した。ヴオルテエルは今日では滑稽なほど「神学」の神を殺す為に彼の剣を つてゐる。しかし「主なる神」は死ななかつた。同時に又クリストも死ななかつた。神はコンクリイトの壁に苔の生える限り、いつも我々の上に臨んでゐるであらう。ダンテはフランチエスカを地獄に した。が、いつかこの女人を炎の中から救つてゐた。一度でも悔い改めたものは――美しい一瞬間を持つたものはいつも「限りなき命」に入つてゐる。感傷主義の神と呼ばれ易いのも恐らくはかう云ふ事実の為であらう。
21 故郷[編集]
「予言者は故郷に入れられず。」――それは或はクリストには第一の十字架だつたかも知れない。彼は
には全ユダヤを故郷としなければならなかつた。汽車や自動車や汽船や飛行機は今日ではあらゆるクリストに世界中を故郷にしてゐる。勿論又あらゆるクリストは故郷に入れられなかつたのに違ひない。現にポオを入れたものはアメリカではないフランスだつた。
22 詩人[編集]
クリストは一本の百合の花を「ソロモンの栄華の極みの時」よりも更に美しいと感じてゐる。(尤も彼の弟子たちの中にも彼ほど百合の花の美しさに恍惚としたものはなかつたであらう。)しかし弟子たちと話し合ふ時には会話上の礼節を破つても、野蛮なことを言ふのを
らなかつた。――「 そ外より人に入るものの人を汚し能はざる事を知らざる 。そは心に入らず、腹に入りて に す。すなはち ふ所のもの れり。」…
23 ラザロ[編集]
クリストはラザロの死を聞いた時、今までにない涙を流した。今までにない――或は今まで見せずにゐた涙を。ラザロの死から生き返つたのはかう云ふ彼の感傷主義の為である。母のマリアを顧なかつた彼はなぜラザロの姉妹たち、――マルタやマリアの前に涙を流したのであらう? この矛盾を理解するものはクリストの、――或はあらゆるクリストの天才的利已主義を理解するものである。
24 カナの饗宴[編集]
クリストは女人を愛したものの、女人と交はることを顧みなかつた。それはモハメツトの四人の女人たちと交ることを許したのと同じことである。彼等はいづれも一時代を、――或は社会を越えられなかつた。しかしそこには何ものよりも自由を愛する彼の心も動いてゐたことは確かである。後代の超人は犬たちの中に仮面をかぶることを必要とした。しかしクリストは仮面をかぶることも不自由のうちに数へてゐた。
「 の幸福」の は勿論彼には明らかだつたであらう。アメリカのクリスト、――ホヰツトマンはやはりこの自由を選んだ一人である。我々は彼の詩の中に度たびクリストを感ずるであらう。クリストは未だに大笑ひをしたまま、踊り子や花束や楽器に満ちたカナの を見おろしてゐる。しかし勿論その代りにそこには彼の はなければならぬ多少の寂しさはあつたことであらう。
25 天に近い山の上の問答[編集]
クリストは高い山の上に彼の前に生まれたクリストたち――モオゼやエリヤと話をした。それは悪魔と戦つたのよりも更に意味の深い出来事であらう。彼はその何日か前に彼の弟子たちにイエルサレムへ行き、十字架にかかることを予言してゐた。彼のモオゼやエリヤと会つたのは彼の或精神的危機に
んでゐた証拠である。彼の顔は「日の如く輝き は白く光」つたのも必しも二人のクリストたちの彼の前に下つた為ばかりではない。彼は彼の一生の中でも最もこの時は厳粛だつた。彼の伝記作者は彼等の間の問答を記録に残してゐない。しかし彼の投げつけた問は「我等は如何に生くべき 」である。クリストの一生は短かつたであらう。が、彼はこの時に、――やつと三十歳に及んだ時に彼の一生の総決算をしなければならない苦しみを めてゐた。モオゼはナポレオンも言つたやうに戦略に長じた将軍である。エリヤも亦クリストよりも政治的天才に富んでゐたであらう。のみならず今日は昨日ではない。今日ではもう紅海の波も壁のやうに立たなければ、炎の車も天上から来ないのである。クリストは彼等と問答しながら、 彼の見苦しい死の近づいたのを感じずにはゐられなかつた。天に近い山の上には氷のやうに澄んだ日の光の中に岩むらの えてゐるだけである。しかし深い谷の底には や も匂つてゐたであらう。そこには又家々の煙もかすかに立ち昇つてゐたかも知れない。クリストも亦恐らくはかう云ふ下界の人生に懐しさを感じずにはゐなかつたであらう。しかし彼の道は嫌でも応でも のない天に向つてゐる。彼の誕生を告げた星は――或は彼を生んだ聖霊は彼に平和を与へようとしない。「山を下る時イエス彼等(ペテロ、ヤコブ、その兄弟のヨハネ)に命じて人の子の死より るまでは汝等の見し事を人に告ぐべからずと言へり。」――天に近い山の上にクリストの彼に先立つた「大いなる死者たち」と話をしたのは実に彼の日記にだけそつと残したいと思ふことだつた。
26 幼な児の如く[編集]
クリストの教へた逆説の一つは「我まことに汝等に告げん。
し改まりて幼な児の如くならずば天国に入ることを得じ」である。この言葉は少しも感傷主義的ではない。クリストはこの言葉の中に彼自身の誰よりも幼な児に近いことを現してゐる。同時に又聖霊の子供だつた彼自身の立ち場を明らかにしてゐる。ゲエテは彼の「タツソオ」の中にやはり聖霊の子供だつた彼自身の苦しみを歌ひ上げた。「幼な児の如くあること」は幼稚園時代にかへることである。クリストの言葉に従へば、誰かの保護を受けなければ、人生に へないものの外は黄金の門に入ることは出来ない。そこには又世間智に対する彼の軽蔑も忍びこんでゐる。彼の弟子たちは正直に(幼な児を前にしたクリストの図の我々に不快を与へるのは後代の偽善的感傷主義の為である。)彼の前に立つた幼な児に驚かない には行かなかつたであらう。
27 イエルサレムへ[編集]
クリストは一代の予言者になつた。同時に又彼自身の中の予言者は、――或は彼を生んだ聖霊はおのづから彼を
し出した。我々は の火に焼かれる蛾の中にも彼を感じるであらう。蛾は 蛾の一匹に生まれた為に蝋燭の火に焼かれるのである。クリストも亦蛾と変ることはない。シヨウは十字架に懸けられる為にイエルサレムへ行つたクリストに雷に似た冷笑を与へてゐる。しかしクリストはイエルサレムへ驢馬を つてはひる前に彼の十字架を背負つてゐた。それは彼にはどうすることも出来ない運命に近いものだつたであらう。彼はそこでも天才だつたと共にやはり に「人の子」だつた。のみならずこの事実は数世紀を重ねた「メシア」と云ふ言葉のクリストを支配してゐたことを教へてゐる。樹の枝を敷いた道の上に「ホザナよ、ホザナよ」の声に打たれながら、驢馬を走らせて行つたクリストは彼自身だつたと共にあらゆるイスラエルの予言者たちだつた。彼の後に生まれたクリストの一人は遠いロオマの道の上に再生したクリストに「どこへ行く?」と られたことを伝へてゐる。クリストも亦イエルサレムへ行かなかつたとすれば、やはり誰か予言者たちの一人に「どこへ行く?」と詰られたことであらう。
28 イエルサレム[編集]
クリストはイエルサレムへはひつた後、彼の最後の戦ひをした。それは水々しさを欠いてゐたものの、何か烈しさに満ちたものである。彼は道ばたの
を呪つた。しかもそれは無花果の彼の予期を裏切つて一つも実をつけてゐない為だつた。あらゆるものを んだ彼もここでは半ばヒステリツクに彼の破壊力を つてゐる。「カイゼルのものはカイゼルに返せ。」
それはもう情熱に燃えた青年クリストの言葉ではない。彼に復讐し出した人生に対する(彼は勿論人生よりも天国を重んじた詩人だつた。)老成人クリストの言葉である。そこに潜んでゐるものは必しも彼の世間智ばかりではない。彼はモオゼの昔以来、少しも変らない人間愚に愛想を尽かしてゐたことであらう。が、彼の
たしさは彼にエホバの「 に入りてその中にをる する者を より し、 の 、 を の 」を倒させてゐる。「この
も今に壊れてしまふぞ。」或女人はかう云ふ彼の為に彼の額へ香油を注いだりした。クリストは彼の弟子たちにこの女人を
めないことを命じた。それから――十字架と向かひ合つたクリストの気もちは彼を理解しない彼等に対する、優しい言葉の中に忍びこんでゐる。彼は香油を匂はせたまま、(それは土埃りにまみれ勝ちな彼には珍らしい出来事の一つに違ひなかつた。)静かに彼等に話しかけた。「この女人はわたしを葬る為にわたしに香油を注いだのだ。わたしはいつもお前たちと一しよにゐることの出来るものではない。」
ゲツセマネの
はゴルゴタの十字架よりも悲壮である。クリストは死力を揮ひながら、そこに彼自身とも、――彼自身の中の聖霊とも戦はうとした。ゴルゴタの十字架は彼の上に次第に影を落さうとしてゐる。彼はこの事実を知り してゐた。が、彼の弟子たちは、――ペテロさへ彼の心もちを理解することは出来なかつた。クリストの祈りは今日でも我々に迫る力を持つてゐる。――「わが父よ、若し出来るものならば、この
をわたしからお離し下さい。けれども仕かたはないと仰有るならば、どうか御心のままになすつて下さい。」あらゆるクリストは人気のない夜中に必ずかう祈つてゐる。同時に又あらゆるクリストの弟子たちは「いたく
て死ぬばかり」な彼の心もちを理解せずに橄欖の下に眠つてゐる。…………
29 ユダ[編集]
後代はいつかユダの上にも悪の円光を輝かせてゐる。しかしユダは必しも十二人の弟子たちの中でも特に悪かつた
ではない。ペテロさへ の声を挙げる前に三度クリストを知らないと言つてゐる。ユダのクリストを売つたのはやはり今日の政治家たちの彼等の首領を売るのと同じことだつたであらう。パピニも亦ユダのクリストを売つたのを大きい謎に数へてゐる。が、クリストは明らかに誰にでも売られる危機に立つてゐた。祭司の たちはユダの外にも何人かのユダを数へてゐた である。唯ユダはこの道具になるいろいろの条件を具へてゐた。勿論それ等の条件の外に偶然も加はつてゐたことであらう。後代はクリストを「神の子」にした。それは又同時にユダ自身の中に悪魔を発見することになつたのである。しかしユダはクリストを売つた後、白楊の木に してしまつた。彼のクリストの弟子だつたことは、――神の声を聞いたものだつたことは或はそこにも見られるかも知れない。ユダは誰よりも彼自身を憎んだ。十字架に懸つたクリストも勿論彼を苦しませたであらう。しかし彼を利用した祭司の たちの冷笑もやはり彼を らせたであらう。「お前のしたいことをはたすが い。」かう云ふユダに対するクリストの言葉は軽蔑と
とに れてゐる。「人の子」クリストは彼自身の中にも或はユダを感じてゐたかも知れない。しかしユダは不幸にもクリストのアイロニイを理解しなかつた。
30 ピラト[編集]
ピラトはクリストの一生には唯偶然に現れたものである。彼は
に代名詞に過ぎない。後代も亦この官吏に伝説的色彩を与へてゐる。しかしアナトオル・フランスだけはかう云ふ色彩に かれなかつた。
31 クリストよりもバラバを[編集]
クリストよりもバラバを――それは今日でも同じことである。バラバは叛逆を企てたであらう。同時に又人々を殺したであらう。しかし彼等はおのづから彼の所業を理解してゐる。ニイチエは後代のバラバたちを街頭の犬に
へたりした。彼等は勿論バラバの所業に憎しみや怒りを感じてゐたであらう。が、クリストの所業には、――恐らくは何も感じなかつたであらう。 し何か感じてゐたとすれば、それは彼等の社会的に感じなければならぬと思つたものである。彼等の精神的奴隷たちは、――肉体だけ しい兵卒たちはクリストに の をかむらせ、紫の をまとはせた上、「ユダヤの王安かれ」と叫んだりした。クリストの悲劇はかう言ふ喜劇のただ中にあるだけに見じめである。クリストは正に精神的にユダヤの王だつたのに違ひない。が、天才を信じない犬たちは――いや、天才を発見することは いと信じてゐる犬たちはユダヤの王の名のもとに真のユダヤの王を つてゐる。「 のいと しとするまでにイエス も答へせざりき。」――クリストは伝記作者の記した通り、彼等の や嘲笑には何の答へもしなかつたであらう。のみならず何の答へをすることも出来なかつたことは確かである。しかしバラバは頭を挙げて何ごとも明らかに答へたであらう。バラバは唯彼の敵に叛逆してゐる。が、クリストは彼自身に、――彼自身の中のマリアに叛逆してゐる。それはバラバの叛逆よりも更に根本的な叛逆だつた。同時に又「人間的な、余りに人間的な」叛逆だつた。
32 ゴルゴタ[編集]
十字架の上のクリストは
に「人の子」に外ならなかつた。「わが神、わが神、どうしてわたしをお捨てなさる?」
勿論英雄崇拝者たちは彼の言葉を冷笑するであらう。
や聖霊の子供たちでないものは唯彼の言葉の中に「自業自得」を見出すだけである。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」は事実上クリストの悲鳴に過ぎない。しかしクリストはこの悲鳴の為に一層我々に近づいたのである。のみならず彼の一生の悲劇を一層現実的に教へてくれたのである。
33 ピエタ[編集]
クリストの母、年をとつたマリアはクリストの死骸の前に歎いてゐる。――かう云ふ図の Piéta と呼ばれるのは必しも感傷主義的と言ふことは出来ない。唯ピエタを描かうとする画家たちはマリア一人だけを描かなければならぬ。
34 クリストの友だち[編集]
クリストは十二人の弟子たちを持つてゐた。が、一人も友だちは持たずにゐた。若し一人でも持つてゐたとすれば、それはアリマタヤのヨセフである。「日暮るる時尊き議員なるアリマタヤのヨセフと云へる者来れり。この人は神の国を望めるものなり。彼はばからずピラトに往きてイエスの
を ひたり。」――マタイよりも古いと伝へられるマコは彼のクリストの伝記の中にかう云ふ意味の深い一節を残した。この一節はクリストの弟子たちを「これに従ひつかへしものどもなり」と云ふ言葉と全然趣を異にしてゐる。ヨセフは恐らくはクリストよりも更に世間智に富んだクリストだつたであらう。彼は「はばからずピラトに往きイエスの屍を乞」つたことはクリストに対する彼の同情のどの位深かつたかを示してゐる。教養を積んだ議員のヨセフはこの時には率直そのものだつた。後代はピラトやユダよりもはるかに彼には冷淡である。しかし彼は十二人の弟子たちよりも或は彼を知つてゐたであらう。ヨハネの首を皿にのせたものは残酷にも美しいサロメである。が、クリストは命を終つた後、彼を葬る人々のうちにアリマタヤのヨセフを数へてゐた。彼はそこにヨハネよりもまだしも幸福を見出してゐる。ヨセフも亦議員にならなかつたとしたらば、――それはあらゆる「若し………ならば」のやうに 問はないでも善いことかも知れない。けれども彼は無花果の下や をした の前に時々彼の友だちのクリストを思ひ出してゐたことであらう。
35 復活[編集]
ルナンはクリストの復活を見たのをマグダレナのマリアの想像力の為にした。想像力の為に、――しかし彼女の想像力に飛躍を与へたものはクリストである。彼女の子供を失つた母は度たび彼の復活を――彼の何かに生まれ変つたのを見てゐる。彼は或は大名になつたり、或は池の上の鴨になつたり、或は又
になつたりした。けれどもクリストはマリアの外にも死後の彼自身を示してゐる。この事実はクリストを愛した人々のどの位多かつたかを現すものであらう。彼は三日の後に復活した。が、肉体を失つた彼の世界中を動かすには更に長い年月を必要とした。その為に最も力のあつたのはクリストの天才を全身に感じたジヤアナリストのパウロである。クリストを十字架にかけた彼等は何世紀かの流れ去るのにつれ、シエクスピイアの復活を認めるやうにクリストの復活を認め出した。が、死後のクリストも流転を したことは確かである。あらゆるものを支配する流行はやはりクリストも支配して行つた。クララの愛したクリストはパスカルの尊んだクリストではない。が、クリストの復活した後、犬たちの彼を偶像とすることは、――その又クリストの名のもとに横暴を振ふことは変らなかつた。クリストの後に生れたクリストたちの彼の敵になつたのはこの為である。しかし彼等も同じやうにダマスカスへ向ふ の上に必ず彼等の敵の中に聖霊を見ずにはゐられなかつた。「サウロよ、サウロよ、何の為にわたしを苦しめるのか?
のある を蹴ることは決して いものではない。」我々は唯
とした人生の中に んでゐる。我々に平和を与へるものは眠りの外にある はない。あらゆる自然主義者は外科医のやうに残酷にこの事実を解剖してゐる。しかし聖霊の子供たちはいつもかう云ふ人生の上に何か美しいものを残して行つた。何か「永遠に えようとするもの」を。
36 クリストの一生[編集]
勿論クリストの一生はあらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた一生である。彼は母のマリアよりも父の聖霊の支配を受けてゐた。彼の十字架の上の悲劇は実にそこに存してゐる。彼の後に生まれたクリストたちの一人、――ゲエテは「
ろに老いるよりもさつさと地獄へ行きたい」と願つたりした。が、徐ろに老いて行つた上、ストリントベリイの言つたやうに晩年には神秘主義者になつたりした。聖霊はこの詩人の中にマリアと り ひを取つて住まつてゐる。彼の「大いなる異教徒」の名は必しも当つてゐないことはない。彼は実に人生の上にはクリストよりも更に大きかつた。 や他のクリストたちよりも大きかつたことは勿論である。彼の誕生を知らせる星はクリストの誕生を知らせる星よりも まるとかがやいてゐたことであらう。しかし我々のゲエテを愛するのはマリアの子供だつた為ではない。マリアの子供たちは麦畠の中や長椅子の上にも充ち満ちてゐる。いや、兵営や工場や監獄の中にも多いことであらう。我々のゲエテを愛するのは唯聖霊の子供だつた為である。我々は我々の一生の中にいつかクリストと一しよにゐるであらう。ゲエテも亦彼の詩の中に度たびクリストの を抜いてゐる。クリストの一生は見じめだつた。が、彼の後に生まれた聖霊の子供たちの一生を象徴してゐた。(ゲエテさへも実はこの例に洩れない。)クリスト教は或は滅びるであらう。少くとも絶えず変化してゐる。けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは天上から地上へ登る為に無残にも折れた である。薄暗い空から きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……
37 東方の人[編集]
ニイチエは宗教を「衛生学」と呼んだ。それは宗教ばかりではない。道徳や経済も「衛生学」である。それ等は我々におのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。「東方の人」はこの「衛生学」を大抵
の上に立てようとした。老子は時々 の郷に と挨拶をかはせてゐる。しかし我々は皮膚の色のやうにはつきりと東西を つてゐない。クリストの、――或はクリストたちの一生の我々を動かすのはこの為である。「古来英雄の士、 く に帰す」の歌はいつも我々に伝はりつづけた。が、「天国は近づけり」の声もやはり我々を立たせずにはゐない。老子はそこに年少の孔子と、――或は支那のクリストと問答してゐる。野蛮な人生はクリストたちをいつも多少は苦しませるであらう。太平の となることを願つた「東方の人」たちもこの例に洩れない。クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に の見つかるものではない。
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