蜂の書/第58章
蜂の書
[編集]第58章
[編集]<< 復活の日に人々が立ち上がる様子と状態について >>[1]
あらゆる 階級、あらゆる状態の人々が、私たちの救い主が墓からよみがえられたように、およそ33歳で、キリストの完全な姿で死からよみがえるであろう 。私たちは、手足すべてが完全になり、体質も変化せず、何も加えられることも、減ることもなくよみがえるであろう。髪の毛や爪や包皮はよみがえるという者もいれば、あたかもそれらが人間の本質の完成には不要であるかのように、それらはよみがえらないという者もいる。復活については、人間の手足の部位や構成がなく、手足の類似性や骨の硬さだけがよみがえると言う者もいる。また、人全体がひとつの結晶質に鋳造され、すべての部分が混じり合うと言う者もいるが、それらは人体に秩序だった構成を与えない。腸や肝臓などの腹部の器官はよみがえらないと言う者もいる。しかし彼らは真理から迷い、体の一部が滅びれば完全ではないことを理解していません。パウロは麦粒に復活の模範をはっきりと示しました。麦粒が栄光をまとい、一片たりとも滅びることなく完全に成長するのと同じように、私たちも復活します。人は体液による浄化を受けただけで、今と同じように、そのすべての肢体と器官が整然とした状態で復活するからです。土器が火の炉に入れられても、形や形状に変化はなく、重苦しさや密度が軽くなり、形は損なわれずに保たれるのと同じように、聖霊は私たちを復活の炉で焼き尽くし、現世の汚れた物質をすべて追い出し、朽ちないものを着せてくださるはずです。「動物の体で蒔かれれば、霊の体で復活する。」[2]。我々は体のすべての部分で見ることも聞くこともできないが、ある人々は、人間の全体が視覚と聴覚を持つようになると考えている。しかし、必要が生じた場合、我々は同じ通常の手足で行動する。しかし、お互いの秘密が私たちに明らかにされるため、お互いに話すことや会話する必要はなくなる。
愚かな人たちが、空想にふけり、罪人への罰と義人への報いを具体化し、復活には清算と天秤があるなどと言うことを、教会は受け入れません。しかし、私たち一人ひとりは、自分の内に光と火を宿しており、その重さ と軽さは、その人自身の性質の中にあります。石や鉄が自然に地に落ちる性質を 持っているように、空気がその稀少さと軽さのために自然に上昇するように、復活においても、罪の中に重く横たわっている人は、その罪によって下へ引きずり込まれ、罪の錆から解放されている人は、その清らかさによって天秤の上で上昇するのです。そして私たちの主は天に昇り、天使たちは大使のように彼の前を行き、正義と正義の人たちは彼の右手と左手に並び、子供たちは命を与える十字架の形で彼の後ろにいます。
脚注
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