英米本位の平和主義を排す

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 戰後の世界に民主主義人道主義の思想が益々旺盛となるべきは最早否定すべからざる事實といふべく、我國亦世界の中に國する以上此思想の影響を免かるゝ能はざるは當然の事理に屬す。

 蓋し民主主義と云ひ人道主義と云ひ其の基く所は實に人間の平等感にあり。之を國內的に見れば民權自由の論となり、之を國際的に見れば各國民平等生存權の主張となる。平等とは個人的若くは國民的差別を拂拭するの意に非ず、個人としては其個性を、國民としては其國民性を十分に發揮せしむるに當り、之が障害となるべき一切の社會上の缺陷、例之政治上の特權、經濟上の獨占の如きものを排除して以て其の個性若くは國民性の発揮に對する機會を均等ならしむるの意なり。かくの如き平等感は人間道德の永遠普遍なる根本原理にして、所謂古今に通じて誤らず中外に施して悖らざるものなり。固陋の徒或は平等の語を聞きて我國體に反する如く考ふると雖も、我國體の觀念は此の人類共通の根本的倫理觀念を容るゝ能はざる程しかく偏狹のものに非ずと信ず。何はともあれ、民主主義人道主義の傾向を善導して之が發達を期するは我國の爲にも吾人の最も希望する事なるが、唯玆に吾人の遺憾に思ふは我國民がとかく英米人の言說に吞まるゝ傾ありて彼等の言ふ民主主義人道主義の如きをも其儘割引もせず吟味もせず信仰謳歌する事是なり。勿論吾人は英米政治家の云爲を全部誠意なきものとなすに非ず。ウヰルソンの如き、ロイド・ジヨージの如きは、眞摯熱誠なる人道の愛護者なるを認むるに躊躇せずと雖も、世には善良なる人にして自ら意識せずに虛僞をなす事あり。動機に於て純なるも結果より見て不純なりしを暴露する事往々にしてこれあり。況んや蠢々たる他の群小政治家評論家、新聞記者の言動に於てをや。

 曾てバーナード・シヨウは其の「運命ママ人」の中に於てナポレオンの口を藉りて英國精神を批評せしめて曰く「英國人は自己の欲望を表すに當り道德的宗敎的感情を以てする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して發表したる上は、何處迄も其目的を貫徹するの決斷力を有す。强盜掠奪を敢てしながらいかなる場合にも道德的口實を失はず、自由と獨立を宣傳しながら殖民地の名の下に天下の半を割いて其の利益を壟斷しつゝあり」と。シヨウの言ふ所稍々奇矯に過ぐと雖、英國殖民史を讀む者は此言の少くも半面の眞理を穿てるものなることを首肯すべし。

 吾人は我國近時の論壇が英米政治家の花々しき宣言に魅了せられて、彼等の所謂民主主義人道主義の背後に潜める多くの自覺せざる又は自覺せる利己主義を洞察し得ず、自ら日本人たる立場を忘れて、無條件的無批判的に英米本位の國際聯盟を謳歌し、却つて之を以て正義人道に合すと考ふるが如き趣あるを見て甚だ陋態なりと信ずるものなり。吾人は日本人本位に考へざる可からず。

 日本人本位とは日本人さへよければ他國はどうでもかまはぬと云ふ利己主義に非ず。斯る利己主義は誠に人道の敵にして、戰後の新世界に通用せざる舊思想なり。吾人の日本人本位に考へよとは、日本人の正當なる生存權を確認し、此權利に對し不當不正なる壓迫をなすものある場合には、飽く迄も之と爭ふの覺悟なかる可からずと言ふ也。これ取りも直さず正義人道と人道主義とは必ずしも一致せず、吾人は人道の爲に時に平和を捨てざる可らず。

 英米論者は平和人道と一口に言ひ、我國にも之に倣ひて平和卽人道也とする迷信家あれど、英米人の平和は自己に都合よき現狀維持にして之に人道の美名を冠したるもの、シヨウの所謂自己の野心を神聖化したるものに外ならず。彼等の宣言演說を見るに皆曰く、世界の平和を攪亂したるものは獨逸の專制主義軍國主義なり、彼等は人道の敵なり、吾人は正義人道の爲に之を膺懲せざる可らず、卽ち今次の戰爭は專制主義軍國主義に對する民主主義人道主義の戰なり、暴力と正義の爭なり、善と惡との爭なりと。吾人と雖今次戰爭の主動原因が獨逸にありし事卽ち獨逸が平和の擾亂者なる事は之を認むるのみならず、戰爭中に於ける獨逸の行動が正義人道を無視したる暴虐殘忍の振舞多かりし事に對しては深甚の憎惡を禁ずる能はざるものにして、英米の論者が是等の暴力的行爲を罵るは誠に當然なりと思考するものなれど、彼等が平和の攪亂者を直に正義人道の敵なりとなす狡獪なる論法に對して、其の根據に於て大に不服なきを得ず、平和を攪亂したる獨逸が人道の敵なりとは歐洲戰前の狀態が人道正義より見て最善の狀態なりし事を前提として初めて言ひ得る事なり。知らず、歐洲戰前の狀態が最善の狀態にして、此狀態を破るものは人類の敵として膺懲すべしとは何人の定めたることなりや。

 吾人を以て之を見る、歐洲戰亂は已成の强國と未成の强國との爭なり、現狀維持を便利とする國と現狀破壞を便利とする國との爭なり。現狀維持を便利とする國は平和を叫び、現狀破壞を便利とする國は戰爭を唱ふ。平和主義なる故に必ずしも正義人道に叶ふに非ず、軍國主義なるが故に必ずしも正義人道に反するに非ず。要は只其現狀なるものゝ如何にあり。もし戰前の現狀にして正義人道に合する最善の狀態なりしならば、此の現狀を維持せんとせし平和主義の國必ずしも正義人道の敵に非ざると同時に、此の現狀を打破したるもの必ずしも正義人道の味方として誇るの資格なし。而して歐洲戰前の現狀なるもの之を英米より見れば、或は最善の狀態なりしならんも、公平に第三者として正義人道の上より之を見れば決して最善の狀態と認むるを得ず。英國の如き佛國の如き其の殖民史の示す如く、早く已に世界の劣等文明地方を占領して之を殖民地となし、其利益を獨占して憚らざりしが故に、獨り獨逸とのみ言はず、凡ての後進國は獲得すべき土地なく膨脹發展すべき餘地を見出す能はざる狀態にありしなり。かくの如き狀態は實に人類機會均等の原則に悖り、各國民の平等生存權を脅かすものにして正義人道に背反するの甚だしきものなり。獨逸が此狀態を打破せんとしたるは誠に正當の要求と言ふべく、只彼が探りし手段の中正穩健を缺き、武力本位の軍國主義なりしが故に一世の指彈を受けたりと雖も、吾人は彼が事玆に至らざるを得ざりし境遇に對しては特に日本人として深厚の同情なきを得ず。

 要之、英米の平和主義は現狀維持を便利とするものゝ唱ふる事勿れ主義にして何等正義人道と關係なきものなるに拘らず、我國論者が彼等の宣言の美辭に醉うて平和卽人道と心得、其の國際的地位よりすれば、寧ろ獨逸と同じく、現狀の打破を唱ふべき筈の日本に居りながら、英米本位の平和主義にかぶれ國際聯盟を天來の福音の如く渴仰するの態度あるは、實に卑屈千萬にして正義人道より見て蛇蝎視すべきものなり。吾人は固より妄りに國際聯盟に反對するものに非ず。もし此聯盟にして眞實の意味における正義人道の觀念に基きて組織せられるとせば、人類の幸福の爲にも、國家の爲にも、双手を擧げて其成立を祝するに吝なるものに非ずと雖、此聯盟は動もすれば大國をして經濟的に小國を併吞せしめ、後進國をして永遠に先進國の後塵を拜せしむるの事態を呈する恐なしとせず。卽ち此の聯盟により最も多く利する者は英米兩國にして他は正義人道の美名に誘はれて仲間入をしながら、殆ど何の得る所なきのみならず、益々經濟的に萎縮すと言ふ如き場合に立ち至らんか、日本の立場よりしても、正義人道の見地よりしても誠に忍ぶ可からざる事なり。故に來るべき媾和會議に於て國際平和聯盟に加入するに當り少くとも日本として主張せざる可からざる先決問題は、經濟的帝國主義の排斥と黃白人の無差別的待遇是なり。蓋し正義人道を害するものは獨り軍國主義のみに限らず、世界は獨逸の敗北によりて硝煙彈雨の間より救はれたりと雖、國民平等の生存權を脅かすもの、何ぞ一に武力のみならんや。

 吾人は黃金を以てする侵略、富力を以てする征服あるを知らざる可からず。卽ち巨大なる資本と豐富なる天然資源を獨占し、刄に衅ずして他國々民の自由なる發展を抑壓し、以て自ら利せんとする經濟的帝國主義は武力的帝國主義否認と同一の精神よりして當然否認せらるべきものなり。

 吾人は戰後大に其經濟的帝國主義の鋒鋩を露はし來るの恐ある英米帝國主義を立役者する來るべき媾和會義に於て、この經濟的帝國主義の排斥が如何なる程度迄徹底し得るや、多大の疑懼なきを得ず。しかも若し媾和會議にして此經濟的帝國主義の跋扈を抑壓し得ずとせんか、此戰爭によりて最も多くを利したる英米は一躍して經濟的世界統一者となり、國際聯盟軍備制限と言ふ如き自己に好都合なる現狀維持の旗幟を立てゝ世界に君臨すべく爾餘の諸國、如何に之を凌がんとするも、武器を取上げられては其反感憤怒の情を晴らす途なくして、恰もかの柔順なる羊群の如く喘々焉として英米の後に隨ふの外なきに至らむ。英國の如き早くも已に自給自足の政策を高唱し、各殖民地の門戶を他國に對して閉鎻せんとするの論盛なり。英米兩國の言ふ所と行ふ所との矛盾撞着せる槪ね斯の如し。吾人が英米謳歌者を警戒する所以、亦實に玆にあり、もしそれかくの如き政策の行はれんか、我國にとりては申す迄もなく非常なる經濟上の打擊なり。領土狹くして原料品に乏しく、又人口も多からずして製造工業品市場として貧弱なる我國は、英國が其殖民地を閉鎻するの曉に於て、如何にして國家の安全なる生存を完了するを得む。卽ちかゝる場合には我國も亦自己生存の必要上戰前の獨逸の如くに現狀打破の擧に出でざるを得ざるに至らむ。而して如斯は獨り我國のみならず、領土狹くして殖民地を有せざる後進諸國の等しく陷れらるべき運命なりとすれば、吾人は單に我國の爲のみならず、正義人道に基く世界各國民平等生存權の確立の爲にも、經濟的帝國主義を排して各國をして其殖民地を開放せしめ、製造工業品の市場としても、天然資源の供給地としても、之を各國平等の使用に供し、自國にのみ獨占するが如き事なからしむるを要す。

 次に特に日本人の立場よりして主張すべきは、黃白人の差別的待遇の撤廢なり。かの合衆國を初め英國殖民地たる濠洲、加奈陀等が白人に對して門戶を開放しながら、日本人初め一般黃人を劣等視して之を排斥しつゝあるは、今更事新らしく喋々する迄もなく、我國民の夙に憤慨しつゝある所なり。黃人と見れば凡ての職業に就くを妨害し、家屋耕地の貸付をなさゞるのみならず、甚しきはホテルに一夜の宿を求むるにも白人の保證人を要する所ありと言ふに至りては、人道上由々しき問題にして、假令黃人ならずとも、苟も正義の士の默視すべからざる所なり。卽ち吾人は來るべき媾和會議に於て英米人をして深く其前非を悔いて傲慢無禮の態度を改めしめ、黃人に對して設くる入國制限の撤廢は勿論、黃人に對する差別的待遇を規定せる一切の法令の改正を正義人道の上より主張せざる可からず。

 想ふに、來るべき媾和會議は人類が正義人道に基く世界改造の事業に堪ふるや否やの一大試鍊なり。我國亦宜しく妄りにかの英米本位の平和主義に耳を藉す事なく、眞實の意味に於ける正義人道の本旨を體して其主張の貫徹に力むる所あらんか、正義の勇士として人類史上永へに其光榮を謳はれむ。(大正七年十一月六日夜誌す)

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